さて。ではいよいよ「松原のお冨士さん」こと、富士塚に登ります!
鳥居方面から見ると、こんな感じです。中腹に、お社のようなものが置いてあります。
入り口に柵が置いてありますけど、登っていいようです。(ここの信者さんと思われる方が登っていたので)
横から見ると…、富士塚の中心が空洞になっていることがわかります。
中には入りませんでしたが、おそらく中でお焚き上げをするのではないかと…。
中はコンクリートで作られていて、その上に富士山の溶岩を積んであるようです。
本殿側から見るとこんな感じ。コンクリートの階段があります。
裾野?に植えてあるのが、富士山に生えているカラマツに良く似ているのですが…これがカラマツなのかどうかはよくわかりませんでした。
普通、高山に生える針葉樹といえば「ハイマツ」(地面に這うように生える松です)なのですが、富士山は「カラマツ」がまるでハイマツのような形で生えています。冬の低温や強い季節風を受けてこのような形になるそうで「テーブル形樹形」と名づけられています。
本殿側からコンクリートの階段を上って、左手に立っている石に「小御岳神社」と書いてあります。(この文字は、肉眼でも非常に読みづらかったのですが…)
これは、富士吉田口の五合目にある神社を表しています。
コンクリート階段の正面にある石には、「烏帽子岩天拝宮 食行身禄霊神」と書いてあります。これは、富士吉田ルートの八合目の「元祖室」という山小屋に併設されている、烏帽子岩天拝宮のことを表しているのでしょう。
「食行身禄」というのは、富士講の創始者「角行」の後継者の4代目(あるいは5代目とも)の弟子で、富士講を江戸の町に広めた人です。富士山の烏帽子岩のたもとで即身成仏したと言われています。
コンクリートの階段の横の狭い石の登山道?を、さらに登っていくと…、頂上に着きます。頂上にあるのがこの石の祠です。
頂上部分には穴が開いています。この穴は上の写真の石の祠の横にあります。
推測ですが、おそらく、中でお焚き上げをして、ここから煙が出てくるようになっているのではないか(噴火っぽく)と思われます。
富士塚の「頂上」からは…本殿はこんな風に見えます。
富士塚の頂上部分(が拝める場所)は足場がとても狭く不安定だったので、写真を撮るのもちょっと怖かったです(^^;
鳥居側から登ったところにある祠です。この祠が、実際の富士山にあるはずの何を模しているのかは…、私にはわかりませんでした。
もしかしたら、北口本宮冨士浅間神社の隣にある、扶桑教の立教の地である「冨士山元祠」なのかな?それは富士山の上ではなく、ふもとにあるのですけれども。
不安定な足場でたくさん写真を撮りながら、無事に、富士登山を終えまして…、満足しました。(笑)
こちらに、戦前にあった「松原富士」の写真があるのですが…、今あるのより、かなり大きいですね!!幅も高さも倍以上ありそうです…、
→冨士道 神道扶桑教 太祠
まだ、続きます!
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