というわけで…、私は先日、「松原のお富士山」のある「富士山太祠」に行ってきました。
「富士山太祠」は、京王線の明大前駅を降りて、徒歩5分程度のところにあります。
この「富士山太祠」は、扶桑教の本部にあたる「大教庁」のようです。
この建物の隣に、一見、神社に見える…「富士山太祠」があります。
扶桑教で言っている「教会・布教所・神事所・講社」などの用語が、それぞれどういうものに当たるのか、私もよく理解できていないのですけど(^^;
扶桑教は明治の初め頃に成立したのですが、当初は太祠も富士塚も、芝神明町(現港区浜松町)にありました。
大正8年(1919年)に太祠がこの世田谷区松原に移転したのですが、その際に富士塚も移設されました。しかし、昭和20年5月25日の東京大空襲により本殿他境内建物が全焼し、富士塚もなくなってしまいました。
それから長いこと富士塚がない状態でしたが、2017年に「全国富士講睦會 結成八十八周年」を記念して、富士塚がふたたび作られることとなったのです。2017年7月9日にその復興開山式が行われました。
→松原のお富士さん「平成の富士塚」復興開山式を斎行しました
前回のブログの冒頭に書いた、京王線から見える「看板」は…おそらく、この富士塚が作られた時にできたのではないかと思います。
最近まで、私は全然気づいていなかったのですから(^^;
太祠の入り口にある門柱。
この富士山マークと「冨士山」の文字を見るだけで萌えてしまいます、私(*^^*)
入り口を入ってすぐ右に、龍神を祀った場所があります。
富士山の近くの龍神の9体、富士山より離れた場所の9体の名前が書いてあって…、よくわからないのですけど、全部ここに祀られているということなのでしょうか?18体の龍神がいたら…絡まりそうです(笑)
龍神のモニュメントです。龍の体が相当、ぐねぐね巻き付いています(笑)
手水を使うところでは、龍の口から水が出るのですが…、
通常は出ていないようなのですが、近づいたら水が急に出てきたのでびっくりしました(笑)
ここにセンサーがあったんですね(^^;
こういう石碑って、山岳信仰系のお寺や神社に行くとあちこちにあるんですよね。
そこの信者の集団である「講」が建てるもののようなのですが…。
これが本殿(と言っていいのか)です。なかなか立派なつくりです。
「富士山」提灯に、萌えます(笑)
鬼瓦のところにも、富士山と桜のマークが…
本殿の上のほうにある富士山の彫刻。
本殿の手前に、富士塚があります!
私が境内にいる間(30分以上いました)ここにお参りに来た人は、二人だけでした(笑)どちらも、年配のおじさんで、おそらくここの信者さんではないかと…。
まずは手水を遣い、それから本殿にお参りをしまして…、
いよいよ登ります!松原富士に。(笑)
というわけで、「登山」の話は次回に〜。
たかがこれだけの塚に登るだけでも、話が長くなりますので…(笑)
(続きます!)
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