2019年05月19日

母だけの剣道日誌(38)はなずきん、剣道やめるってよ(その3)「三段止まり」の意味が、今はわかる。

母だけの剣道日誌(37)はなずきん、剣道やめるってよ(その2)私は武道には向いていない…とわかってしまったから。 より続いています。

「剣道をやめたい」とは思いましたが、今すぐやめなければ、というほど切羽詰まっているわけではないので…

私はこの秋に、三段を受審する予定でしたので、それは受けようと思っています。
ここまでがんばってきたのですから、三段は取りたいのです。一回の受審では合格できないかもしれませんが、何度か受ければ三段まではなんとか取れるだろう、と思っています。


でも、おそらく…私は四段以上を取るのは、無理ではないかと感じています。
自分自身はさっぱり上手くなっていませんが、私はある程度は「人の実力を見る目」はついているつもりですが。
客観的に見て、自分が四段相当の実力まで行くとは思えないのです。

年配になるほど多少は審査基準が甘くなるようなので、四段ならギリギリ取れるかもしれませんが、私の素質では五段以上を取るのは何年かかっても無理だろう、と感じます。
四段にしても、相当の努力をしなければならないでしょう。今となっては、私がそこまで努力を続けられる気がしません。


剣道をある程度続けている方なら、おわかりになると思いますが…
「大人で、長いことやっているのに、三段までしか取れない」
のは、「剣道を極める資質が足りない人」ではないかと思います。


極めるつもりがなければ剣道をやってはいけない、というわけではないのでしょうが…
でも、剣道という競技(武道)の性質上、「常に上を目指す」ことが求められていることが多いと感じています。

当会の大人担当のN先生もそうです。N先生が当会で教え始めたばかりの頃は、もう少しそのあたりが「ゆるかった」ような気がしますが…
その頃はまだ「初心者」だった人たちも上達してきて、今では対外試合で多少は勝てるようになってきているからなのか…「もっと勝てるような」「もっと上を目指す」指導にシフトしてきているのですよね。
他の剣友会でも似たりよったりの考えの先生が、主催していることが多いように感じています。


ところで…
以前、私が警察で剣道を習っていた頃、指導していた先生が結婚されたのですが、結婚相手の女性が「剣道三段」だったのです。
お祝いの会をやった時にその女性とお話したのですが、当時、まだ1級すら取っていなかった私は「三段なんて、すごいですね!」と言ったのですが、その方は
「いえ、私なんて”三段止まり”ですよ」
と言っていたのです。

当時の私にとっては、「三段ははるか上の存在」だったので、その言葉の意味がよく理解できていませんでしたが…
三段をまもなく受審できるようになった今は、その方が言いたかったことがわかります。
「大人が剣道をずっと続けていて、三段までしか取らなかった、取れなかった」
というのは、剣道を極めるほどの力、もしくは気力がない、ということなのだと。



私は、今までは、「ゆるやかな上達でも、上を目指して続けていきたい」…と思っていました。
でも、「私は三段くらいで実力が頭打ちになるのでは」ということを、今回のことではっきりと自覚してしまったのです。


当会では、女性は三段を取れば指導者になることができます。
私は「自分を育ててくれた、会へのご恩返し」として、指導者の手伝いができれば…と、三段を目指していたところもあったのですが…
「私程度の実力で、他人様に剣道を教えるなんて無理ではないか」
と、最近はよく感じていました。

女性の先生がやるとしたら初心者指導なのですが、それすら無理な気がしています。
私がみんなの前に「先生」として立つなんて、おこがましいと感じてしまいますし、子供を教えるということにもあまり向いていない気がします。とりわけ幼児を教えるとなったらかなり苦労しそうです。

「三段を取っても指導者にならない」という選択肢もありますけれども…
だったらなおさら、今の会で続ける意味はないのではないか、と思うのです。



たとえば、剣道ではなく、山登りだったら。
山岳部や登山家などでない限り、「もっとできるようにがんばりなさい」なんて言われることはないでしょう。

エベレストに登るのも、高尾山に登るのも、同じ登山だけれども。
「登山をするなら、エベレストを目指さないと」
とみんなに言われることはないでしょう。
自分が登れる山を、自分のペースで登ればいいだけです。

でも、剣道だとなかなかそうはいかないのです。
さすがに「みんな八段を目指しなさい」とは言わないでしょうが…
常に「相手に勝てるようになるように」「前より上手くなっていく」ことを求められる。

私は「上の人」に常に「上達を目指して」指導され続けることが、しんどいんだ…と、感じてしまったのです。


確かに私は「上手くなりたい」「強くなりたい」とは思っていましたが…
指導されたことがすぐには身につかないし、指導される内容は多岐にわたっています。
竹刀の握り方、立ち方、姿勢、気構え、などなど…、

私はそんなにいっぺんに全部は直せないのです。腹筋が弱いこともあり、姿勢をよくしろと言われても、そんな簡単に直るものではありません。でも、言われたことを気を付けて稽古はしているので、前よりは少しずつは良くなっているはずなのです。

例えば、左手の「小指半掛け」と言われる握り方。
2年くらい前までは、なかなかできていなかったのですが…最近はわりとできるようになってきたのです。
不器用な私は、ひとつのことができるようになって、やっと次に直すべきところに意識が行くのです。

「ここはできるようになっているから、次はここを直しなさい」
と言われるのなら、まだ心情的に納得できるのですが…
ほぼ常に「できていないこと」を指摘されるだけで、「できるようになったこと」はなかなか言ってもらえません。

「よし、完璧」と言われるような状態にそう簡単になれるわけはないので、常に「できていないこと」を言われ続けるのだろうか。
ある先生に教わった通りにやってきたら、別の先生に「それは間違っている」と言われることもよくありますし。
これだけいろいろ気を付けてやっているのに、何も考えてないとか、努力が足りないと思われているのでは、と感じてしまいます。

まあ、要するに、「できているか、いないか」という評価が中心だから、私にとっては辛いのでしょうね。
努力はしているのに、できてなければ「できてない、違っている」と言われるだけ。
さほど努力をしてなくても、できていればほめられるのです。

私は「がんばっているのに、常に注意され続ける」のに疲れてきてしまったのだと思います。



私は「かっこいい人」になりたくて、剣道を始めたのです。でも、ちっとも、かっこよくなっていないのです。
少なくとも、剣道を理解している人が見たら、私は「かっこ悪い」部類でしょう。
「剣道をやっているのに、かっこ悪い」なんて、当初の目的が果たされていません…。

「剣道をやっている」と人に言うと「すごいですね!」と言われるけれども、「でも、下手くそなんです。なかなか上達しないんです」と補足せざるを得ない。というくらいにしか、自分を評価できません。これは謙遜でも自虐でもなく、(剣道界の中では)客観的に見てもそうなのだと思っています。

私自身だって、下手な他人を見たら「かっこ悪い」って感じてしまいます。だからきっと私も「かっこ悪い」って思われてるんだろうなあ、と…。
始めたばかりの頃なら、いざ知らず…いつまでもそんな状態なのでは、なんだか空しくなってきました。


(まだ続きます)


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posted by はなずきん at 16:33 | Comment(0) | 母だけの剣道1(三段に向かって) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする