2018年11月17日

母だけの剣道日誌(12)西村選手出演の「アスリートの魂」を見て(前編)「下がって勝つ剣道」からの脱却。

ひさしぶりの剣道の話題です。

昨年は全日本剣道選手権を会場まで見に行き、その後録画した試合を見て研究しながら記事を書いたのですが…
昨年優勝した西村英久選手のことは、私はそれまであまり良く知りませんでした。

母と子の剣道日誌(252)全日本剣道選手権に行ってきました!(その5)準々決勝、西村対山本&真田対畠中
母と子の剣道日誌(255)全日本剣道選手権に行ってきました!(その8)準決勝、西村対畠中。西村選手の「計算」
母と子の剣道日誌(256)全日本剣道選手権に行ってきました!(その9)決勝戦…勝負は開始直後に決していた。

昨年の試合を分析した時に、準決勝で、西村選手は反則を1回した相手に「竹刀落とし」をかけようとしたり、故意に裏交差をしたりということが見られたので、

「ちょっとズルい戦法を取ることがあるんだな。
勝つためなら手段は問わないのかなあ」

という印象を受けました。

西村選手は勝つことに対する執念が強いんだな、その気持ちはスゴイな、とは思いましたが、私は「真正面から堂々と行く戦法」の人が好きなので、西村選手の戦法はちょっと好みじゃないなあ〜と思っていました。


そして…
今年の韓国での「世界剣道」は、ネットでの画像配信しかやっていなかったのですが…
試合動画では選手が小さく写っていて非常に見づらかったので、私は決勝戦以外は、ファンである安藤選手の試合しか見ませんでした。
西村選手の試合はさほど良く見ていなかったのです。

今年の全日本剣道選手権でひさしぶりに、テレビで西村選手の試合を見たわけですが…
今年はそんなに「分析」をしたわけではないので、ベスト8以降の戦いだけを見たのですが
「西村選手、2連覇するなんてスゴイな。昨年より、さらに強くなってるかも」
と感じていた、という程度でした。

※全日本剣道選手権で2連覇した選手は、過去に2人しかいないのです!


ところで…
全日本剣道選手権の数日前に、NHKの「グッとスポーツ」という、スポーツ系のバラエティ?番組で西村選手が出ていたのですが…
西村選手は、気さくでお茶目な人なんだなあ〜と思いました。

一番最初に、番組の進行役である「相葉」と、「お互いに打突部位につけた紙風船を、先に割ったほうが勝ち」という勝負をしたのですが…。

相葉は全く剣道経験がないので、ハンデとして…
相葉はつけている紙風船は「右小手」のひとつのみ。
西村選手は左右の小手と面と、左右の胴の5つの紙風船をつけました。
そして、西村選手のみは小学生用の短い竹刀です。

これで相葉は「勝てそう」なんて言っていましたが…剣道経験者からしてみれば
「この程度のハンデなら西村選手が勝つに決まってるでしょ」
と思いますよね〜。
超へっぴり腰の「相葉」は、ちょっぴり西村選手の右小手の風船にかすったものの、やっぱり西村選手があっさり勝ちました(笑)

そもそも、相葉が付けている風船がひとつとはいえ「右小手」って…そこ、西村選手が一番打ちやすいところじゃないですか!(^_^.)
西村選手の戦法を知っている人が見たら「これ、ハンデになってないよ」って思うでしょう。(笑)

そこでさらにハンデを追加して…。
西村選手は床に描かれた狭い円の中から出てはいけないというルールでやりましたが…
いやいや、そのハンデもむしろ西村選手に有利じゃない?
だって、相手は必ず、前方からこっちに攻めに来てくれるんだから、狙いやすそうですよ。

そしてわりと簡単に西村選手が勝ったのでした。やっぱりねえ〜。
ここで万が一、西村選手が負けたら番組の流れが上手くいかないでしょうから、わざと絶対勝てるようなハンデにしたのかも?(^_^.)とか、うがって見てしまいましたが。

でもその時に
「勝てて超嬉しい。全日本剣道選手権で優勝するより嬉しかった」
と西村選手が言っていたので、笑ってしまいました(笑)。


その後には、(西村選手いわく)「売れ残りのケバブ」みたいな、カクカク、ガッツリした筋肉のついたふくらはぎを披露してくれまして。
小手を打つ時に左足で跳んでいる様子もスローで見せてくれました。

しかし、この番組では、剣道が空前のブームとか言っていたけどホントなんですか?
そりゃーリバ剣さんとか外人さんの剣道人口は増えてるかもしれませんが…
子供の剣道人口は減ってるんじゃないのかなあ〜。


ところで、この番組の構成上のコンセプトなんだと思いますが、中で何度も「武士道」という言葉が出てきて…
西村選手は時代劇も好きで、武士道も好き…みたいな話が出ていました。
時代劇を、西村選手が演じるなんてのもやってましたねえ。

でも、私はこの番組を見た時には、正直なところ
「西村選手の戦法は、正統派の武士道かというと、ちょっと違うのでは?」
と感じていたのです。


そして…
全日本選手権が終わった後、ふたたびNHKの「アスリートの魂」という番組で、西村選手の特集をしていたのですが。
この番組の内容は、私にとっては「けっこう意外」で、とてもいい話だったので、紹介させていただきますね。


大分出身の西村選手は、小学2年で剣道を始め、中学生まではずっと「面で勝負する」戦法だったのだそうです。
高校は「剣道の名門にして強豪校」の熊本・九州学院に進学したのですが、身長も高くはなかった西村選手は、それまでの「面を狙う」戦法では通用せず…
高校時代は小手を必死に練習して、勝てるようになったのです。

それからは
「相手が攻めてきたら下がってかわし、相手が前に出たところに小手を打つ」
という「下がって勝つ剣道」で勝ってきたのですが…

西村選手は、心の奥底では、
「下がって勝つ剣道は正統派ではない」
と、納得できない想いでいたのです。


2年前の熊本地震の時に、熊本県警の機動隊員として救出作業に携わった西村選手は、たくさんの人の死を見て
「剣道なんてして何になるんだろう。人が助けられるわけではないし」
と、剣道に対してやる気を失っていました。

地震の1年後、機動隊によって倒れた建物の下から救出された高齢の女性が、警察にお礼に来ました。
「私の命は皆さんに助けられた命です。100歳まで精一杯生きます」
と語る女性の言葉を聞いて、西村選手は…

「生かしてもらった命を十分に使おうと思っている人がいて、あの年になってまで頑張って生きようと思っている人がいるのに、自分も精一杯一生懸命生きなくては。
剣道をするにしても悔いのないような生き方をしたい。
(下がらない剣道を)貫き通して、結果を出したい


と、感じたのです。


そして、昨年、全日本剣道選手権で優勝したことで、それまでの心境とは代わり…
「下がらなくても勝てるはず」
「これからは前に攻める剣道にしていきたい」
と決意したのでした。


(続く)


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2018年11月16日

私の死生観の話。(後編)私のお墓は、いらない。

私の死生観の話。(前編)父が亡くなる前後の話と、不思議な甥っ子について。 より続いています。


さて、父のことに話を戻しまして…。

甥には人の「マイナス感情」が伝わってしまうので、父の精神状態が悪い間はずっと騒いでいたそうです。
しかし、父も死が近づくにつれ、激しい憎しみや、悔しさのようなものは治まっていったようでした。

父が亡くなった時に、甥は「おじいちゃん(の霊)は笑っていた」と言っていました。
それを後から聞いて、私は、
「ああよかった、父はあれほど苦しんでいたけれど、その気持ちは残さず逝けたのだ」
…と思いました。


私はあまり感情の起伏が大きいほうではなく、いろんな物事に対してもわりとクールなほうです。
卒業式で悲しいと思ったこともありません。

父が亡くなった時にも、私は悲しくはありませんでした。
父はやっと、肉体のある苦しみから解放されたのだと感じたのです。


亡くなった後もしばらく、父は私たちのそばに来ていたようでした。
家族が集まっていると、甥が「おじいちゃんが来てる」「笑ってる」と言っていたのです。

霊である父はよく「コメント」をしていたらしく、次兄が家でゴロゴロ、だらだらしていたら
「そんなにゴロゴロするのは良くない」
みたいな事を言っていたらしく、霊になっても生前と言うことはあんまり変わらないのだなと思いました(笑)

父が亡くなった後に実家にいた母は、夜ふと目が覚めた時に、父の遺影が金色に輝くのを見たそうです。母に挨拶?に来ていたのでしょうか。
私は全くそういう経験はしませんでしたが…。

結婚してからは、そんなに父と会うことも多くはなかったせいもあるのかもしれませんが、私はいまだに、父が亡くなったという気があまりしていません。亡くなってからも、甥っ子経由でたびたび「父のコメント」を聞いたりしていましたし(^_^.)。

亡くなって6年経った今は、父はだいぶ遠いところに行ってしまったらしく、たまにしか来ないそうですけれども。


そんな話を甥(=義姉)から聞いたり、自分でもいろいろ調べたりして…

「死は終わりではない。
こちらの世界から、あちらの世界に行くだけなのではないか」


と、私は思うようになりました。



実際に、自分が死を目前にした時にも、そんなに達観できるかどうかはわかりません。

でも、子供を社会人になるまで育てたら、私の今の「生物としての役目」は終わりなのかなあとは感じています。
そこまでできれば、その後の命はそんなに惜しくはない…と思うようになりました。

子供を持つ、育てるっていうことは、次世代へバトンを渡している…ということなのでしょうね。


私は、今の生活が楽しいです。
子育てや母の世話などがあるので、なんでも好き勝手にできるわけではありませんし、めんどくさいこともいっぱいありますが、剣道をやっているのは本当に楽しくてしかたありませんし、他にも楽しいことはいくつもあります。
子供が育って行くのを見るのも面白いです。

でも、早く死にたいと思っているわけではありません。これから先にやりたいことも、まだまだあります。
剣道も続けたいし、山にも登りたいし、子供が巣立ったらのんびり旅行でもしたいです。
私には「93歳でハレーすい星を見るまでは生きる」という目標があり(笑)、できるだけ元気で長生きしたいと思っています。

しかし、今の状況でできること、やりたいことはだいたいやっているので、もし明日死んでも(子供が小さいうちに残していくということ以外は)悔いはありません。



私は「自分のお墓はいらない」と考えています。

私の体は「ひとつの生物」であり「地球(宇宙)の一部」でしかない、と思っているので、死んだ肉体はただの物質となって大地に還ってくれればそれでいいです。
お骨も取っておいてくれなくてもいいと思っています。

自分のことを知っている人が、たまに自分のことを思い出してくれれば、それだけで十分です。

まあ、実際には、なかなかそういうわけにもいかないかもしれませんが…
残された人がしたいようにしてくれていいのですが、私にとっては、お墓も遺骨も仏壇も、いわゆる供養も、必要だとは思っていません。


最近は「遺骨ペンダント」など、遺骨を身に付けて供養する、守ってもらう、みたいな考えがありますが…そこにこだわるのは私にはよくわかりません。
私は、大事な人の思い出は、自分の心の中にあるもので十分ですし、その人を思い出すためのものが欲しいというのなら、「形見の品」のほうがいいのではないでしょうか。もう死んでしまった肉体に執着する必要はないように思います。

私は子供によくこう言っています。

もし私がどこかで亡くなって、遺体が見つからなかったら、無理に探す必要はない、と。
私は自分でちゃんと成仏するから、遺体を探すことにはこだわらないでほしいと。

遺体は「その人だったもの」でしかないのです。
命がなくなってしまえば、ただの物質なのですから。

もちろん、自分だったものですから、あえて粗末に扱われるのは嫌ですけど…
見つからないものを無理に探してもらうことはないと思っています。
ほっておけば大地に還るのですから、それでいいのではないでしょうか。


私は、地球の生命の歴史を知った時に
「私の生命は、地球に生まれた最初の生命からずっとつながってきたものなのだ」
ということに気づいて、感動しました。

子供を産まず途中で死んでしまった生物には、その子孫はいないわけで…
私がいるということは、私を産んだ父母、さらにその父母、さらにその父母…と、それがずっと途切れることなく続いてきたのだということなのだと。
今生きている生命のすべて…つまり私の中にも、地球の生命の歴史が詰まっているのです。

いったいその「はじまり」から「私まで」の間にどれだけの代があったのかわかりませんが…
私はその「つながってきたすべての生」に感謝したいと思いました。
その時代を生き、子供を産み育ててくれたすべての「先祖」に。

そして、自分に子供が生まれた時に…
そのバトンを自分の子供がつないでいって欲しい、と思いました。

その「つながり」を感じるのが「先祖に感謝すること」ではないのか。
お墓詣りをすることだけが先祖に感謝することではないのではないか、とも感じました。

だって、自分の先祖は父方だけではなく、母方もいるわけで…
それをたどれば、自分に血がつながる先祖なんて、近代だけでも数えきれないくらいいるはずです。

もちろんお墓参りをして、先祖に感謝の意を表すことはいいことではあると思いますが…
私は自分の子孫にそれを強要したくはありませんし、自分を直接知っている人がいなくなった後まで「自分の印」を残すことにもあまり意味を感じません。
地球上の幾多の生物のほぼすべてに「お墓」なんてものはないわけで、そんなものを作っているのは人間だけですから。

親にとっては、子供が幸せでいてくれることが「親孝行」だと思います。親にお礼や感謝を言いに来なくたって別にいいのです。
それと同じで、お墓詣りをすることイコール「先祖孝行」ではないのでは…。
そういうことに、後世の子孫を縛るのはどうなのかなあと思っています。
子孫が絶えてしまえばそんなことをする人もいなくなってしまうわけですし。

私がいろいろ調べたり、甥の話を聞いて感じたことは、
「死んだ人(霊)の考えは、生前の考えが多分に影響しているのではないか」と思います。
供養してほしいと思う霊がいるのは、生前にそういう宗教観があったからではないだろうか、と思うのです。
縄文の人が先祖代々のお墓詣りや法事をしていたとは思えませんし、今の宗教観は近代になってからできたものでしょう。

私は「供養もお墓もいらない」と考えているわけなので、私についてはそれでも大丈夫なんじゃないかな?と思っています。



しかし、実際に周囲の人を見ていると…
やっぱり「死が怖い」という人は多いのだなと思います。

自分の父もそうでしたし…
「自分や家族が、いずれ死ぬということを考えたくない」から、何も考えないようにしている人、というのがけっこういると感じます。

そういう人にとっては、私みたいな考えは全く理解できないのだろうな〜と思います…。


まあ、私みたいに割り切っちゃっている人のほうが少ないのでしょうけれども(^_^.)

人はそれぞれ、その人の「寿命」を全うして死んでいくのだと思います。

だから私は、たぶん母が亡くなってもあまり悲しくないと思うんです。
主人が亡くなっても、寂しくなるとは思いますが、さほど悲しくはないかもしれません。
「生きている間に会えなくなるだけ」で、死んだ人はきっと「あちら」にいて、私が亡くなればまた会えるのだろうと思っています。

子供についてだけは、あまり若いうちに死んだらかなり悲しいでしょうけれども…
でも、自分が100歳の時に子供が72歳で死んだら別に悲しくないかなあ〜。
そのくらいまで生きれば、十分寿命をまっとうしたと言えると思うので。

「身内が死んでも悲しくない」なんて言うと、冷たい人だと思われそうなのと(実際に冷たい人かもしれませんが)
死について、あまりにあっけらかんとしていると「不謹慎」と言われそうな気もして、なかなかこういう事を言うことも少ないので…
ブログに書いてみたというわけでした。

今回の話はこれで終わりですが、不思議な甥っ子の話については、いろいろ逸話があるので、また書きたいと思っています。

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2018年11月15日

私の死生観の話。(前編)父が亡くなる前後の話と、不思議な甥っ子について。

なんか、タイトルは重そうですが、全然重くない内容です。
なぜなら、私は「死があまり怖くなくなってきた」からです。

6年前に父が亡くなったことが、私が初めて「身近な人」を亡くした経験ですが…
その頃から、だいぶ私の死生観が変わってきたのです。
今回はそのことを書いてみようと思います。


子供の頃はたいていみんなそうだと思いますが…
私も「死」というものが怖かったです。

自分がなくなってしまう。終わってしまう。
その後どうなるのかわからない。

そのことに対して、漠然と不安を感じることがたまにありました。
(たまに、という程度で、ふだんはそんなこと考えていなかったですが。)


ニュースや物語で、人を助けるために自分の命を投げ出す人の話を聞いたりすると…
「私には、とてもそんなことはできない」
と思っていました。
自分の命をなくしてまで他人を助けるなんて、およそ想像のつかない行動でした。

いろいろやりたいこともある。
まだまだ生きたい。死にたくない。
子供を産むまでは、私は自分の「生」に執着がありました。


しかし…
自分の子供を産み、育てていくうちに
「子供を守るためなら、自分は死んでもいいかも」
と感じるようになったのです。

もし子供の命が危ない状態で、私が死んで子供は助かるのならば…
私は死んでもいいと思いました。

そりゃ、ある程度子供が育つまでは、できるだけ死にたくはないです((+_+))
子供が小さいうちに死んでしまったら、心残りかなあ〜とは思います。
しかし、子供の命を守るためなら、自分の命は惜しくありません。

私が、そんなに子供をかわいいと思っているのか…というと、さほどでもありません(笑)
保護者として面倒は見ていますし、幸せになってほしいとは思いますが…そんなに手をかけているわけでもありません。
3人とも、もうある程度育ってはきたので、親は「子供の向いている方向がずれていたら多少修正する」程度の関わりで、後は好きにやってくれていいと思っています。

でも、子供は”守らなければならない対象である”と感じます。
これは母親の本能なんでしょうね。



そんなふうに、子供を育てたことでも私の死生観はけっこう変わったのですが…
父の死に関わる出来事は、またその考えを「加速させた」ような感じでした。


父が亡くなった時のブログはこちら
父が亡くなりました


このブログに書いたことは事実なのですが、この時には書かなかったことがあります。

それは、この前後で私の甥っ子が「霊能力がある」ということがわかった、ということでした。
こんなことを書くと引かれるかも、と思ったので今まで書いたことはなかったのですが…(^_^.)

私はそれまで、霊能力とか幽霊とか、その類のことはあまり信じていなかった…というか、興味がありませんでした。
自分ではそんなものは見えませんし、怖がりでもないので、霊体験や怪談などを聞いてもちっとも楽しくないというか。
だからその手のことはあまり知りもしませんでした。


父は亡くなる前に、ガンであることがわかり、相当取り乱して家族にも当り散らすような精神状態でした。
その頃、私の次兄の子供…私の甥が、毎晩騒ぐようになったのだそうです。

甥は自閉症で、この当時は6歳くらいでしたが、それまでは奇声をあげるだけで、言葉は全くしゃべりませんでした。
しかしこの頃、家に貼ってあった「五十音表」の字を指して、自分の意志を伝えようとするようになったのだそうです。
それからは、iPadなどのキーボードを使って「しゃべる」ようになったのです。ただし、自分だけでキーボードを操作することはなくて、母親である義姉の手を取ってキーボードを押すのです。
だから、義姉を通してしか甥の言葉は「聞く」ことができないのですが…。

甥はこの時、なんで騒いでいるのか聞くと
「おじいちゃん(私の父)が苦しんでいる」
と言います。
「おじいちゃんのうしろの人がそれを伝えに来る」
のだそうです。

そういうことを最初に聞いた、甥の両親である次兄夫婦は…
もちろん、最初は「いったい何を言っているのか」と思ったそうです。
兄も義姉も、そういう霊だのなんだのの話を信じているようなタイプではありませんでしたので。

甥いわく、どんな人にも必ず「うしろのひと」がいて、その人を守っているらしいのです。

最初はその話に半信半疑だった次兄ですが…
次兄の「うしろのひと」は、「加藤さん」だと甥から聞いてびっくりしたそうです。

なぜなら、私の母の旧姓が「加藤」だったからです。
そんなこと、小さい子供に教えたことなどありませんから…。
つまり、次兄の「うしろのひと」は、母の親戚だったということでしょう。
それから、どうも甥の言っていることは本当なのでは?と思うようになったそうです。

まあ、なにぶん子供の「言う」ことなので…
人が聞いたことに必ず答えてくれるわけでもないし、きちんとした文章になっていなくて、何を言っているのかよくわからない部分も多いのですが、6歳にしては不自然に難しい言葉や言い回しをしたり、やけに達観したようなセリフを言ったりします。
とても本人が自分で身に付けた言葉とは思えないし、本人が作っている話にしては「できすぎ」なので、おそらく霊や神様から聞いている言葉なのかと思いました。


甥はどうも、植物や動物、生きている人の「うしろのひと」、死んだ人の「霊」、そして「神様」とも話せるようでした。「悪魔みたいなもの」も見えるそうです。
ただしどんな霊とでも話せるというわけではなく、話しづらい霊もいて(理由はよくわかりません)、それは甥が話ができる霊経由で話を聞いたりしているようでした。

甥はおそらく生まれつき、そういうものが当たり前に見えて会話していたようで、周囲の人には「そういう人やモノ」は見えていない、ということを「会話ができるようになってはじめて知って」びっくりしたらしいです。

そして甥は人の「マイナス感情」を感じやすいらしく、父が不安定な時はそれをずっと感じていたようでした。
父が亡くなった後の母も不安定な時期があったようで、それで騒いでいたこともあったらしいです。
それも、赤の他人よりも血がつながっている親戚の心情のほうがどうも通じやすいみたいです。

そして甥の母である「義姉」の心を、甥は読み取れるようで、次兄がiPadを通したふたりのやりとりを見ていると「全然義姉が言葉を発していないのに、意志疎通ができていることがある」のだそうです。

しかし次兄は、実の子である甥とは「会話」はできないそうです。
また甥には姉がふたりいますが、この二人とも会話はできないらしいです。


甥は現在中学1年になっていますが、自閉症児なので言動はいまだ「3歳児」みたいな感じです。
はっきりした言葉はしゃべりませんし、しょっちゅう飛び跳ねたり物をかじったりしています。
しかし学校の勉強はできているようですし、本などは触っただけで読んでいるような感じらしく、相当の知識を持っているようです。

甥の不思議な話を書きだすとキリがないので、今回はこのあたりでやめておきますが(^^)
私はこのことをきっかけに、人の「守護霊」とか「神様」というのはどういうものなのか、というのを調べるようになりました。


(続きます)


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2018年11月14日

「押井守」監督の作品が好きです。

先日、2001年宇宙の旅の話を書いた時に、私が「好きな監督二人のうちの一人」として押井守(監督)と書きましたが…
平成30年宇宙の旅〜私と主人と映画と。(前編)

この押井守という監督は、映画やアニメファンには名前が知られていますが、普通の方にはほとんど縁がない監督だと言っていいでしょう。

今でこそ「巨匠」扱いされていますが、それは「攻殻機動隊」(アニメ映画)がヒットしてからのことで…
それも、攻殻機動隊は日本での評価は最初はイマイチだったのです。しかし海外の評価が高かったので、日本でも見直されたという感じでした。(どうして日本人って海外の評価に弱いんでしょうね!!)
「攻殻機動隊」以前の作品は、一部のマニア受けはしていたものの知名度もあまり高くはなく、作品を知っている人であっても、かなり「好き嫌い」の分かれる作風なのです。


しかし、私にとっては…だいぶ以前から、かなり好きな監督であったのです。
私が最初に「押井守」の名前を意識したのは、テレビアニメの「うる星やつら」からでした。

私は中学生の時に「超時空要塞マクロス」をきっかけにアニメにはまり…
高校生の時にアニメの「うる星やつら」を見ていました。

当時大学生だった長兄は「宇宙戦艦ヤマト」世代でサブカル好き。アニメオタクではありませんでしたが、少女漫画が好きだったり、家には「OUT」(オタク系情報誌!?)などが転がっていました。
この頃は、兄弟3人でアニメを見ては、あれが面白いのどうのといろいろ盛り上がっていたのです。

私はもともと、高橋留美子の「うる星やつら」の漫画が好きで、何かというとラムの絵を描いていたのですが(笑)、アニメもやっているというので、途中から見始めました。
漫画自体が「ナンセンスギャグ」な作品で、アニメの初期の頃はその雰囲気が良く出ていましたが、そのうち、アニメのほうでは原作にはない、シュールな話が時々入ってきていたのです。

原作とはまた違う雰囲気の、独特のセンスと面白さ。
それに興味を持って、制作している人たちを調べてみたら…「うる星やつら」のテレビアニメのチーフディレクターが「押井守」だったのです。
その後押井守とたびたび組む「伊藤和典」脚本の回は特に、「押井守っぽさ」が出ていたのではないでしょうか。


そして…
「うる星やつら」の2作目の映画である「ビューティフル・ドリーマー」では押井守が監督でした。
これを見て私は完全に「ノックアウト」されてしまいました。

「うる星やつら」は、ヒロインである宇宙人ラムと、ラムが好きな浮気性の「あたる」、その周囲の人々を巻き込んだコメディです。
「ビューティフル・ドリーマー」のあらすじはこんな感じです。(※結末までネタバレしています!ご注意ください)

ラムあたるの通う「友引高校」では、生徒が泊まり込みで文化祭前日の準備に追われていた。
ただでさえ忙しいのに、ラムやあたるが余計な騒動を起こしたりして、担任の「温泉マーク」先生は疲弊しきっていた。
しかし…何度も同じような事が繰り返され、いつまで経っても、文化祭当日にならない。”もしや、文化祭前日が繰り返されているのではないか?”…ということに、温泉マークは気づいたのだ。
温泉マークは保健教諭にして巫女の「サクラ」に相談して、解決の糸口を得ようと生徒をすべて校内から締め出して帰宅させることにした。
しかし、あたるの友達である「メガネ」達はどうしても自宅にたどりつくことができず、メガネ達全員はあたるの家に泊まって翌日登校をするが、ふたたび学校は文化祭前日に戻っているのであった。

その日の夜の校内では、奇怪な現象が続いていた。
サクラとあたる達は、生徒の一人である「面堂」(財閥の御曹司)の自家用の戦闘機ハリアーを使って友引町からの脱出を試みるが、空から見た友引町は「巨大な亀の上に乗った町」となっており、亀の上で町を支えているのは、石像となった「温泉マーク」と、サクラの叔父である坊主の「錯乱坊」だった。
そして、友引町の外の世界はすべてなくなっていた…。

しかたなくハリアーで友引町に戻ってみると、そこは無人の廃墟になっていた。
学校は池に沈み、街は荒廃している…しかし、あたるの家と家族と、その近くの無人のコンビニだけはなぜか「普通に」存在するのだった。
誰も生活していない廃墟なのに、水も電気も食料にも困らない共同生活。

ラムとあたる、メガネたちは、学校にも行かず遊び回れるこの世界の生活を満喫していたが、この状況に納得の行かない面堂とサクラは、この世界の謎を解こうとする。

この世界を作っていたのは「人の夢を作る妖怪」夢邪鬼(むじゃき)の仕業だった。
長い人類の歴史の中で、いろんな人の夢を叶えては裏切られてきた「夢邪気」は、ラムの純粋な夢を叶えるためにこの世界を作ったのだった。
ラムは「あたるやみんなと、ずっと楽しい生活を送りたい」と言っていたのだ。

あたるは「この夢の世界を守りたい」夢邪鬼と取引をするが、交渉は決裂し、あたるは「それなら現実に帰る」と、夢を食べるバクを呼ぶラッパを吹き鳴らす。

ラムの夢をバクによって食べられてしまった夢邪鬼は、あたるに次々と悪夢を見せる。そして
「夢だから何度でもやり直しが利くんや」「自分の作り出す現実と何の違いもない楽しい夢の世界のほうがええやないか」
とあたるを説得しようとするが、あたるは現実の世界へ戻ることを望んだのだ。

あたるは、学園祭の準備で泊まり込んでいた友引高校で目を覚ます。隣りに寝ていたラムも目覚め、面堂やメガネ達と、ずっと一緒に楽しく過ごす夢を見ていたと語る。だが、あたるは「それは夢だ。夢なんだよ。ラム」と言い…
友引高校はやっと、学園祭初日を迎えた。

あらすじはかなり「ざっくり」書きましたが、この作品はどこまでが夢で、どこからが現実なのかという「繰り返し」が幾度も描かれます。
現実のようで、現実でない。夢のようで現実かもしれない…

うる星やつらのキャラクターとその設定を使っていながら、話の内容は「押井守色」そのまんまのこの映画。
原作者の高橋留美子からは、
”(『ビューティフル・ドリーマー』は)押井さんの『うる星やつら』です。”
と語っていて、自分の作品とは違うという想いを強く持っていたようです。
高橋留美子と押井守の考える「うる星やつら」にはテレビアニメ放映時からかなりの隔たりがあり、ふたりの間には相当、確執があったらしいですが…
「うる星やつら」の映画の中で、一番高い評価を受けているのは「ビューティフル・ドリーマー」であるのは確かでしょう。

押井守は、この映画を作った後、テレビアニメ版の監督を降りています。
私はそれ以降の「うる星やつら」のアニメは見なくなり、原作もいちおう読んではいましたがつまらなくなってきたなあ〜と思っていました。


私はこの「ビューティフル・ドリーマー」が、この後に続く、押井守の作品の「原型」であると考えています。
ぶっちゃけ、この後のどの押井守作品も「主題は全部一緒」と言ってもいいのではないでしょうか…。


自分が現実だと思っているこの世界は本当の現実なのか。
夢と現実の境とはなんなのか。
その区別に意味はあるのか。


どの作品にも、この共通した「主題」が流れているのではないかと思います。

※私は押井守の全ての作品を見たわけではないので、例外もあるかもしれませんが…


押井守の作品は、他にもいくつかの特徴があります。

まず、難解なセリフが多く、ストーリーもややわかりづらいです。
長ゼリフも多く、セリフの中に「ことわざ」や「故事成語」的なものもしょっちゅう出てきます。
ビューティフルドリーマーは、ベースが「うる星やつら」なので、まだわかりやすく作られているほうですが…

ほとんどの原作モノは原作の設定を作品中できちんと説明しているとは言えず、ある程度の予備知識がないと理解しづらいものが多いです。
「攻殻機動隊」もそのうちのひとつでしょうね。

攻殻機動隊の続編である「イノセンス」に至っては、影の主役?である「素子」がどういう人なのかは、前作を見ていないと全くわからないと言っていいでしょう。
本来ならば、この映画の中で一番感動するはずの場面である、「素子登場」のところが…一番わかりづらいのです(笑)


また、近年の作品においては、映像はかなり細かい部分まで作りこまれていることが多いです。
「虚構と現実のないまぜ」が主題であることが多いせいか、どこか幻想的で、やや冷たい印象の絵が多いです。

そして音楽と映像との「相互作用」には、相当のコダワリを持って作品を作っています。これ以上にそこにこだわっている監督は、私は見たことがありません。

押井守の作品のほとんどは「川井憲次」という作曲家の音楽を使っていますが…
「川井憲次と押井守は(作品上)切っても切れない関係にある」と私は思っています。

この時、押井守と川井憲次が出会っていなかったら、これ以降の作品は全く違うものになったのではないか…と感じるくらいです。


最初に川井憲次が音楽を担当したのは、うる星やつらの後に作られた実写映画「紅い眼鏡」からです。
「ビューティフル・ドリーマー」に続いてこの映画を見た私は…
やっぱり、この監督の作品が好きだと思いました。
こんな映画を作れる人は、他にどこにもいないでしょう。

「紅い眼鏡」は、限りなく自主制作に近い、押井守監督の初の実写映画です。
安い予算なのでほぼモノクロ、画面的にもやや単調で、かなりわかりづらいストーリー、難解なセリフの羅列、と、全く一般受けしなさそうな映画なのですが…私はこの映画と音楽がかなり好きで、サントラを何回聞いたかわからないくらい聞いています。
この「紅い眼鏡」の音楽は、この後の川井憲次のサントラの原型であって最高傑作と言ってもいいのではないかと思っています。

押井守が映画「攻殻機動隊」で有名になってからは「紅い眼鏡」もある程度名前が知られるようになりましたが、続編はあるものの、それまでは世間的にはほぼ評価されなかった作品と言ってもいいかと思います。
いや、今でもそんなに評価されていないですけど(笑)。

この「紅い眼鏡」のメインテーマとそっくり(豪華版?)な「Avalon」のテーマも好きです。
「Avalon」の作品そのものは、そこまで好きなわけじゃありませんが(映像は好きだけど、ストーリーがイマイチかと)、このテーマ曲はいいですねえ〜。

「イノセンス」は音楽と映像のマッチングが素晴らしく、映画館で見た時に鳥肌が立ったほどです。
特にバトーがプラント船の中枢部に突撃するシーンは…何度見ても凄いと思います。
ただ、音響にこだわりすぎているせいで、自宅のテレビでDVDを再生した場合にはそれが全然再現されないが非常に残念なのですが。


私は押井守の作品が「難解だから好き」なわけではありません。
私は、やたらとセリフで説明したがる小難しい作品は嫌いなのですが、押井守作品は、セリフが「ストーリーの説明」ではなく「話の世界観の表現」となっているからなのかもしれません。ちょっと舞台劇と似ている部分もあるのではないでしょうか。

ストーリーも「暗喩」的な表現が多く、話の結末も「それで?」と突っ込みたくなるような、わけのわからない感じの作品が多いです。
押井守のファンはその「暗喩」を読み解くのが好きな方が多いようですが、私は「謎解き」にはあまり興味はなく、映像やセリフから受けた「印象」を「面白い」「美しい」と感じているのです。

「2001年宇宙の旅」の監督、キューブリックともどこか似ている部分があると感じています。


私は「紅い眼鏡」の後の作品はけっこう見ました。
最近のものはちょっと違うかな〜と感じるので、あんまり見ていませんが。

私が見た作品はざっとこんな感じです。

うる星やつら オンリー・ユー
うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー
機動警察パトレイバー
MAROKO 麿子
機動警察パトレイバー 2 the Movie
GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊
イノセンス
スカイ・クロラ The Sky Crawlers
ダロス
天使のたまご
トワイライトQ 迷宮物件 FILE538
御先祖様万々歳!
機動警察パトレイバー NEW OVAシリーズ
紅い眼鏡/The Red Spectacles
ケルベロス-地獄の番犬
トーキング・ヘッド
アヴァロン



しかし全部が好きなわけではなく、あんまり好みでないものもあります。
テレビやOVAの「パトレイバー」は他の方との共同制作だったこともあり、中途半端な作品だったという印象です。
「天使のたまご」は本当に意味が全くわからないし、「迷宮物件」は駄作だと思います(^_^.)
「スカイ・クロラ」は「なんか違う」と思いましたし…。

前述したように「イノセンス」はかなり好きで、劇場に3回見に行きました。
音響に相当こだわりのある作品だったので、音響設備がいい映画館でもう1回見たいのですが、攻殻機動隊ほど世間受けしなかったと見えてリバイバル上映されることがほぼないようなんです。
この作品は、映画館の音響あってこそだと思うのですが…。

そして「御先祖様万々歳!」は全く一般受けしないと思いますが、かなりの傑作だと思っています。



そして、主人も「紅い眼鏡」が非常に好きだという話はこの間書きましたが…私より好きではないでしょうか。
主人と私が出会う前に、それぞれこの作品を見ていたわけですが、他にこの作品を好きだという人に会ったことがありません(笑)。

主人はかなり幅広く映画を見ているので、その中で「押井守が特に好き」かというと、微妙に違うように思いますが…。
押井守の作品の中で、いくつか強烈に好きな作品がある、といったところでしょうかね。


100人の人に押井守の作品を見せたら、「面白い」と言う人はたぶん1〜2人と言ったところでしょうね。
そもそも、70人くらいの人には「話が理解不能」「何が言いたいのかわからない」と思われ、残りの28人くらいの人は「話はわからないことはないけど、好みじゃない」と言うような気がします。

私も話にこめられているものの半分くらいはわかっていないんじゃないか、と思いますが、わからない部分を詳しく読み解こうともしていません。それでも好きだと感じて、どこか、私の奥底にあるものを刺激されるのです。
私は押井守の作品の解説はできませんけれども、「ファン」だとは言っていいのではないかと思っています。


なんだか、とりとめもなく結末もない話になってしまいましたが…(笑)
ご拝読、ありがとうございました。

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2018年11月10日

平成30年宇宙の旅〜私と主人と映画と。(後編)

平成30年宇宙の旅〜私と主人と映画と。(前編) より続いています。

話の途中なのに、だいぶ間が空いてしまいましてすみません。


私は、主人と付き合うようになってから、前よりは映画を見るようになりました。
私が「あれ、見たいなあ」って言うと、たいてい主人がどこからか持ってきてくれるんですよね(笑)
主人は自分が見るだけでなく、他の誰かに映像作品を見せるのも好きなのです。


私はキューブリックの作品を全部見たわけではありませんが
「博士の異常な愛情」「フルメタル・ジャケット 」
はかなり好きな作品です。

って、あらためて考えてみると私はそんなにキューブリックの作品を見ているわけではないんですね。
見た中でもそんなに好きというほどではない作品もありますし…

でも私はキューブリックの「作風が好き」とは言えるでしょう。
他の映画にはない、独自の画面構成というのでしょうか…

白く、冷たく、やや殺伐とした映像。
淡々と進み、しかしどこかに「狂気」が感じられる、ストーリーの空気。
私はそれを「美しい」と感じます。



そして、キューブリックは独自の音楽センスが素晴らしいと思います。

先日映画館に行って見てきてから、私の頭の中には繰り返し「美しく青きドナウ」と、それに合わせた映像が浮かんできています。

2001年宇宙の旅で流れる音楽が、「美しく青きドナウ」「ツァラストラはかく語りき」ではなかったら…
きっと、全然違う印象の映画になっていたことでしょうね。
(キューブリックは現代の音楽家に依頼してサントラを作成させたのに、それを使わなかったという逸話があるそうです)

今でこそ、SF作品のサントラにクラッシックは珍しくありませんが、「2001年宇宙の旅」制作当時には画期的な取り合わせだったのです。


映像と音楽は切っても切れない関係にあると思うのですが、そこにすごくこだわっている監督は決して多くはないと感じています。
キューブリックも押井守も、「音楽とそれに合わせた演出」に相当、こだわっている監督です。

私にはいくつか「これは繰り返し見てもいい」という映画がありますが、いずれも映像やストーリーのセンスが好きなのはもちろんですが、音楽にもかなりこだわっているものがほとんどです。
そこが「私が映像作品を好きになるポイント」なのかもしれません。


私が今回「2001年宇宙の旅」を見に行ったのは、新宿のIMAXシアターだったのですが…。
最終日で映画の日(料金が安くなる)とはいえ、平日の昼間なのに客席はほぼ埋まっていましたし、夕方の回はすでに売り切れていました。
50年も前の作品をリバイバル上映しているのにも関わらず、これだけ集客できるなんて、スゴイ作品ですよね。
他にそんな映画はないのではないでしょうか。

物語において中途半端に「新しさ」を表現した場合、後から見ると古臭く感じてしまうものが多いですが…。
「2001年」はSFであるにも関わらず、今見てもほとんど「古さ」を感じないのです。まだアポロが月に着陸する前に作っているのに、無重力の描写とか宇宙船のリアリティなどかなり「本物に近い」と言えます。
公開当時にはいかに革新的な作品だったかというのがわかりますね。

IMAXシアターなのでかなり細かいところまで見えたのですが、それに耐えるだけのクォリティのある映像でした。
さすがに「地球」「月」「木星」などの描写は、現在の「本物の映像」と比べてしまうとかなり「平面的」だったのですが…
そういう情報が、ほぼない時代なのですからしょうがないのですけどね。


今回、見ていて笑ってしまったのが、「HAL9000コンピューターの必死のセリフ」でした。私はだいたい記憶にはあったのですが、正確にセリフを覚えていなかったので。

HAL9000(以下HAL)は、木星に向かう宇宙船ディスカバリー号を制御するAIです。
宇宙船全体の制御だけでなく、乗組員の話し相手や、チェスの相手までしますが…
「ディスカバリー号の航海の目的」に疑問を感じている(!)HALは、乗組員に相談をしますが、その疑問にとりあわず自分の機能を停止させようとする乗組員を「殺害する」という行動に出ます。

二人の乗組員のうちの一人を「殺し」、残ったボーマン船長もディスカバリー号の外に「HALが締め出した」のですが、船内に戻ってきてしまいます。
ボーマン船長は「狂った」HALの機能を停止しようと宇宙船のコンピューターの中枢部に向かうのですが…その行動をなんとか止めようと、HALは「自分がやっちまった事の言い訳」を必死にするのです。

今回の映画の字幕とはちょっと違うのですが(翻訳が微妙に違いますね)、ネットに書いてあったセリフより転載します。
映画『2001年宇宙の旅』の名言・名セリフまとめ

ごく最近、私が酷い判断をしてしまった事は十分に理解してます。
しかし、私の機能は正常に戻る事を完全に保証します。
私はまだミッションを成し遂げる為の熱意と自信に満ち溢れてます。
そして、あなたを援助したいのです。

この説得にボーマン船長(デイブ)は全く取り合わなかったので、さらにこんなセリフを言っています。

聞いてくれデイブ、あなたが怒るのもわかる。
正直に言うが、一旦座って、ストレスを落ち着かせる薬でも飲んで、考え直した方が良いと思うよ。
(今回見た映画では”精神安定剤でも飲んで”と書いてあったと思います)

人工知能でありながら「自信」や「不安」などがあるようにも見えるHAL。
やけに「人間くさくて必死になっている」HALのセリフがおかしくて、笑ってしまいました。

私は最近、「ちょこっとイラスト」(手帳などに描くような、小さいサイズのイラスト)を練習しているのですが…
映画を見てからこんな絵を描きました。
左側のHALとディスカバリー号が私の絵、右の絵が主人が描いたものです。

004.JPG

私、HALが好きなんですよね(^^)
私はふだん、あんまり物のディティールをよく見ているほうではないのですが、今回はイラストネタにしようと思っていたので、HALの構造などもマジマジと眺めていました…。

人工知能などという単語もおそらくなかったであろう50年前に、今存在するようなAIを「作り上げた」キューブリックの先見性。
いや、HALの描写があったからこそ、今のAIが作られてきたのかもしれませんね…。

ひさしぶりに見た「2001年宇宙の旅」は、やっぱり凄い作品でした。


今回はここで話を終わらせるつもりだったのですが、「押井守」のことも書きたくなってきたので…
また近いうちにネタにしようと思っています。
(大多数の方には興味がない内容な気がしますが…(笑))

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