私は主人に言いました。
「私が剣道を始めたばかりの頃、全然体力もなくて、動きもできてなかったって知ってるでしょ。
そこから今までかけて、やっと人並みまで体を作ってきたんだよ。
人より遅いけど、少しずつは上達してきたって思ってた。
少なくとも、体力は同年代の女性の中ではあるほうなんだよ。
それだけでもほめてもらってもいいじゃない。
一生懸命がんばってても、剣道の技術が向上していなければ、あなたには評価されないんだね。」
「いや、たしかにお前の体は前に比べたら全然できてきてるんだよ。
体幹の筋肉はかなりついてきたし、体力もだいぶついてるようだし、それは感じてるよ。
でもだからこそ、もっと剣道もできるようになったと思ってたんだよ」
「そんなの、あなたの勝手な思い込みじゃない。
私は自分ができてないって自覚はあるよ!
いくらやっても、地稽古だと面が入らないんだから。
筋肉も体力も前よりついてきたのに、なかなか上手くならないのはなんでだろうって、いつも思ってる。
自分のどこが悪いのか、人に聞いて直そうともしてるよ。
でも、面を早く打てるコツがどうしてもつかめないんだよ。
それでも、続けていればいつかわかるだろう、と思ってやってる。
でも、肝心の有効打突が取れるようになってないんだから…
自信なんて、全然ないんだよ。」
「お前も、3年やってるんだし、自分では上手くなっている部分もあると思うんだろう?
なんで、そんなに自信ないんだよ。
もっと自信持ったっていいんじゃないのか」
「あなたが”お前は全然できてない”って言ったくせに…、
自信持っていい、なんて、矛盾してるじゃないの?
もともと自分は他の人よりできてない、って思ってるのに、
さらにあなたにそんな事言われて、自信なんて持てるわけ、ないじゃない!
でも、前の私に比べたら、はるかにマシになってるはずだよ。
私はセンスもないし、ちょっと無理すると体もついていかないけれど、
それでも、少しずつでも上手くなれればいい、と思って稽古を続けてるんだよ。」
すると主人は
「おまえ、もっと上手くなりたいんだろ?」
そう言って、玄関に置いてあった竹刀を持ってきました。
「俺に向かって、面を打ってみろよ!」
主人は部屋の中でやろうとするので「危なくてできない」と言ったら「じゃあ外でやろう」と。
あの〜、もう、夜の12時を過ぎてるんですけど!
でも、ここまで来たら引っ込めません。
私と主人は竹刀を持って、外に出ました。
(ご近所の方、深夜にうるさくて、すみませんでした
主人は防具もつけていないのに、私に「面を打ってみろ」と言います。
「危ないよ、当たっちゃうかもよ」
「いいよ、当たっても」
ええー、と思いましたが、そう言われては仕方ありません…
竹刀を持って構えている主人に向かって、寸止めで面を打ちました。
「やっぱり、お前の竹刀はなんだか遅いんだよ。
剣先に感覚が行ってないんだ。
ただ「振る」んじゃなくて、相手の打突部位に”ヒットさせる”つもりでやってみろよ。
俺の頭に、スズメバチが止まってると思え。
これを打ってあげないと、危ない!
だけど相手は気づいてなくて、竹刀をよけようとするんだよ。
でも、なんとしても、叩かないと!
そんなつもりでやってみな。」
主人はただ構えているだけでなく、地稽古のような状態で打ってみろと言います。
昔やっていただけあって、動きも竹刀の捌きも私より全然こなれていて、打とうと思ってもよけられてしまい、なかなか打ちこめません。
でも、言われたように、「叩く」感覚でなんとか打ちこもうとしました。
何度かやっているうちに、やっと面らしきものを入れられました。
そんなにビシっと入ったわけではないのですが
「そうそう、さっきよりは全然良くなったよ。
その感覚で打つように、これから気を付けてみなよ」
そして、なんだかんだで1時間くらい、深夜の路上で稽古をしたのです…。
なんですか、夫婦喧嘩からのこの熱血な展開は!?
いったいなんでしょう、この夫婦(笑)
確かに、主人に言われた内容はもっともだったし、私の弱い部分を気づかせてくれました。
稽古をつけてくれたことはありがたい、と思い、その日はそれで終わりました。
でも…人が必死に努力しているものに対して「できてる」か「できてないか」という見方しかできないのか、という事がどうにもひっかかります。
剣道は私の仕事でもなければ、代表選手でもない。
私はもちろん強くなりたいけれども、それが目的で剣道をやっているわけではなく、強くなるために努力をする事に意味があると思っています。
それに、私なりに一生懸命努力しているのに、体や才能の限界があって、トレーニングも稽古も思うようにはできてないのです。
でも、剣道が好きだから続けているのです。
それなのに「上手くならなければやる意味がない」と言われているように感じました。
主人は「そんな意味で言ったんじゃない」と言いますが…。
私の先生でもない、稽古仲間でもない、ふだんの稽古の様子すら見てないうえに、中学以来剣道をやってもいない主人から、なんでここまで言われなきゃいけなかったのか。
主人が仕事に行ってから、またふつふつと怒りが湧いてきてしまいました…。
子供が学校に出かけて、家でひとりで洗濯をしながら、そのことを考えていたのですが…。
私がどういう想いで剣道を続けているのかを知らない主人から、結果だけを見て「ダメ出し」をされたわけです。
自分が「できてない」ということを主人にあらためて突きつけられて、本当に悔しくて、ひとりでボロボロと涙を流しました。
今、このブログを書いていても、この時の気持ちを思い出して涙が出てくるくらいです。
うちは夫婦喧嘩をしたら、折れるのはたいてい私のほうです。
いつもは、夫婦の間がぎくしゃくしていること自体に疲れて、相手のほうが悪いと思っていても歩み寄ろうとしますが、この時ばかりは、私の怒りは収まりませんでした。
結局、主人が仕事から帰ってきてから、
「結果だけを評価するのでは、人の心は動かない」ということについては、改めて文句を言いました。
それからいろいろと話して「夫婦の間」としては和解をしましたが、
審査直前だというのに、自分はそこまで「できてない」のだ、ということが、心のどこかにひっかかったままでした。
しかし、私の打ちが弱いのはなんでだろう?とあらためて考えたのですが…
もちろん、私の力不足もあるのでしょうが、それだけではなく、今使っている竹刀が私には長すぎるのかも、と思い当たりました。
私は身長が高いので39の竹刀を使っていましたが、長いので竹刀がコントロールしづらいのかも。
当会の他の女性に聞いてみたら、みんな38で、39の竹刀を使っている人はいませんでした。
そう思って、以前使っていた38の竹刀を出してきて比べてみました。
なぜかこちらのほうが重く感じるのですが、その分しっかり振れるような気がします。
また、今使っているのは、小判型の39の竹刀だったのですが、どうも振るとふらついています。
ちょっと前まで、同じ竹刀のモデルチェンジ前のものを使っていましたが、ささくれたので新しくしたのですが…ささくれていても、素振りをする分には問題ないので、前のものを家での練習用使っていました。
それと新しいのを振り比べてみたら、同じシリーズの竹刀なのに、今使っているものは軽く感じて、かえってまっすぐ振りづらいのです。
前買ったのが使いやすいと思ったので同じシリーズを買ったのですが、今のは使いづらいことに気づきました。
主人も、新しい竹刀を振ってみて「なんだかこれ、やりづらいな。これじゃないのを使ったほうがいいよ」と言います。
なので、最近稽古に使っていた39の小判型の竹刀を使うのはやめ、別の39の竹刀と、以前使っていた38の竹刀を使って、どれが一番打ちやすいか試すことにしました。
まだ試している途中なので、どれがいいのかの結論は出ていませんが、とりあえず初段審査は38の竹刀を使ってやることにしたのです。
(続く)