2015年12月29日

ちょっとした事件

しばらくご無沙汰しておりました。
というのも、もともと年末で忙しいうえに、とある事件がおきまして…


私の実母は大正14年生まれ。
私が今年47歳ですから、私を産んだのは母が42歳の時です。今とは違って昭和42年の事ですから、相当晩産なほうでした。
私の同級生の親と比べるとだいぶ年がいっていましたが、私は「うちのお母さん、大正生まれなんだよ〜」ってむしろ自慢していました(笑)。母としてはそんな自慢、されたくなかったかもしれませんが…。


母は九州で生まれ、20歳過ぎまで九州で育ちました。
母の年は昭和と同じ年になるのですが…つまり、戦争があった昭和16年から20年のあたりが、いわゆる適齢期だったわけです。母は6人兄弟の末っ子で、その頃にはお姉さん達はほぼ結婚して家を出ていました。
実家に残っていた母は、病弱な母親の看病と、その後ガンになった父親の看病もあって、結婚適齢期を逃してしまい…母親は戦争中に亡くなり、父親は戦後に亡くなり、その後母は東京に上京してきました。

戦時中は小学校で代用教員をしていた母は、東京で公務員になり、職場で父と出会います。
そしてわりと長く付き合う間、まあいろいろあったようですが…母が37歳の時に結婚、長兄を出産しました。そして二年半後に次兄、さらに二年半後に私を産んだというわけです。


父は母の7歳年下でして、3年前に亡くなったのですが…
そこから母は、実家で一人暮らしをしていました。母は糖尿病気味だったり、高血圧だったりと、多少よろよろはしていますが、杖をつけばひとりでなんとか歩ける感じです。
父が亡くなってから介護認定を受けて、ヘルパーさんに来てもらえばなんとか自活をできる感じだったのです。
施設に入る、子供と同居する、なども考えたのですが、父の思い出が詰まった家から出るのは母は抵抗があったようで、なんとかがんばって今までの家でひとり暮らしをしたいという希望でした。
父が亡くなってしばらくは寂しくて気持ちも落ち込みがちだったようですが、デイサービスでお友達もできて、最近はけっこう元気になっていたのでした。


良く言えば「純粋」、悪く言えば「子供っぽい」母は、自営の税理士でなんでもきっちりやる父に、かなりの事を依存していたようで…
大正生まれの機械に弱い母が、家電製品がほとんど使えないくらいは仕方ないとしても、家の水道光熱費やその他の料金など、どこにいくらくらい払っているのかもほとんど把握していませんでした。

なので、父が亡くなった後は私がしばらく通い、亡くなった後の手続きを始め、公共料金の名義変更などのもろもろの手続きをほぼ全部私がしました。
私は実家から2時間くらいの距離に住んでいて、子供もまだ大きくはないので、そんなに頻繁には行けませんが、今でも月1回は私が実家に行って、医者に付き添い、さまざまな郵便物を処理していました。

兄ふたりは結婚して実家の近くに住んでいますが、なにぶん勤め人ですから、そんなに頻繁に行く事もできません。
母の手続きや医者関係の担当は私、週末担当は次兄、介護保険や全体を見てもらうのが長兄、という感じで分担をして母の面倒を見ていました。


ちなみに母は、ガラケーの「らくらくホン」なのに携帯のメールすら読めません。電話をかける事しかできないという。母がなんとか最低限使える家電は、電話とエアコンとテレビくらいでしょうか。
実家には母用にiphoneが置いてあって(次兄の持ち物)、私や次兄からFacetimeというビデオ通話をかける事があるのですが、最初はそれを取らせるのも一苦労でした。
Facetimeがかかってきたら、ただ、iphoneの画面に出ている受話器のマークを指でスワイプするだけのことなのですが、それを母にきちんと理解させるのには1年くらいかかりました(笑)。いまだに、ちょっと変な動作をすることがあると、わけがわからなくなってしまうようです…。

ちなみに母は、認知症ではないです。物忘れはけっこうありますが、年相応かと思います。
ただ、母は若い頃から「天然ボケ」気味でして…なんだか話がかみ合わないことはよくあります(笑)


さて…12月なかばに、介護保険の「利用者会議」というのがあったのですが、私と長兄夫婦、ケアマネさんたちが実家で同席して話をして、今後どのように介護サービスを使っていくのかという話をしてきたばかりでした。
今までは兄の奥さん(義姉)が介護保険の窓口になっていたのですが、今後は私にすることになり、携帯の番号を知らせてきました。

その数日後、私の携帯にケアマネさんから電話がかかってきました。
デイサービスに行っていた私の母が、転倒した後に足が痛いと言っていると。デイサービスの車で医者に連れて行くのだが、どこに連れていくべきか?という内容でした。

その時はそんなに切迫した感じではなかったのと、私も実家近くの病院の状況が把握できていなかったので「母が通院しやすそうなところがいいので、母にどこがいいか確認してください」と伝えたのですが…。

その1時間後くらいに、またケアマネさんから切迫した声で、私の携帯に電話がかかってきました。
「ちょっと前から、尋常じゃない痛がり方をしているんです。車で連れていけるような状態ではないので、救急車を呼んでいいですか?」と。
「それなら、救急車を呼んでください、お願いします」と言ったら「では、搬送先の病院が決まったらまた連絡します」と言って電話は切れました。


母はただ、デイサービスで椅子から立ちあがろうとして、隣の人の椅子の足にひっかかって転んだだけらしいのです。それなのにいったい何事?


ケアマネさんは、長兄と義姉にも連絡を取ってくれていたようで、義姉が仕事を早退して病院に向かってくれることになりました。この時長兄は出張で遠方にいたようです。


義姉からも私にメールが入り、病院に向かっているということでした。
最初にケアマネさんから連絡が来たのが午後1時頃、母が病院に搬送されたのが3時前くらい。義姉が病院に着いたのは夕方5時くらいでした。
搬送先の病院は、母が以前、私と一緒に通っていた大きめの地域病院でした。


義姉から、母は相当痛がっているらしい、とても家に帰れるような状態ではなさそう…という話を夕方に聞いてから…しばらく連絡がありませんでした。
午後9時を過ぎてもまだ連絡が来ません。
きっと入院手続きなどで忙しいのだろう、とこちらから連絡をするのを控えていたのですが、明日以降の行動にも影響してくることなので、しびれを切らして午後10時くらいに電話をしました。
すると、ちょうどみんな(私の兄弟と配偶者)に向けてメールを書いていたところだったそうです。


母は「大腿骨頚部骨折」をしていたそうです。
つまり、太ももの骨が骨盤につながっているあたりの部分が、折れてしまっていたのです。
もちろんその状態で歩けるわけがないし、高齢なので、骨がくっつくまで待っていたら機能低下をして寝たきりになってしまうので、早めに手術をする必要がありました。

折れた部分を金属の「部品」と置き換え、ふたたび骨盤にはめ込む、という手術をするのですが…もちろん、手術の時は全身麻酔をすることになります。
通常、90歳という高齢だと、全身麻酔そのものに耐えられない人も多いそうです。
肺や心臓に負担がかかり、手術が成功しても、その後の合併症で死亡してしまったり…
手術がきっかけで認知症になってしまう人もいるそうです。

しかし、担当のお医者さんは、母の状態を見て
「90歳でもこのくらいしっかりしているなら、手術をしても大丈夫でしょう。リハビリがうまく行けばまた元のように歩けるようになると思います」
と言ったそうで…
手術後は2〜3週間入院、その後もリハビリ専門病院に2〜3か月入院してがんばってもらうことになる、ということでしたが、母もまだ歩きたいという意欲があるようなので、手術に踏み切ることにしました。
ただ、骨折をした日が祝日の前日だったので、部品取り寄せに時間がかかり、手術はケガをした3日後に行われる事になりました。


母は自分が転んだだけで骨折をしてしまったと聞いてだいぶ悔しがっていたそうです。
「お父さんと一緒に毎日歩いてたのに!牛乳も毎日飲んでたのに!」と。(笑)
しかし、90歳ともなると、ちょっと転んだだけでも、ポッキリいってしまうのですね…、


そして母の手術は先週の金曜日、無事に終わりました。
手術後に担当医が私たちに説明をしてくれました。

「90歳にしては骨が丈夫で、チタン合金の部品がしっかりはまってくれた」(骨が弱いと、部品がしっかり固定できない事があるそうです)
「大腿骨の受け側の骨盤のくぼみのほうは壊れておらず、しっかりと”部品”をはめこむことができた」
(母はペースメーカーを入れているのですが)「ペースメーカーを切っても、心臓はしっかり動いていたので、心臓機能も大丈夫そうだった」

手術は成功したので、あと歩けるかどうかは母のリハビリのがんばりにかかっている、ということでした。


私はまだ麻酔が完全に切れていない、ぼーっとした母の状態を見て帰ってきたのですが、その後見舞いに行った兄の話だと、母は(介助があれば)車椅子にも乗れるようになり、食事もたくさん食べるようになってきて、だいぶ元気になったらしいです。
リハビリは明日あたりから始まるようです。


昨日の朝は母から電話がかかってきて「今日はお見舞いに来ないの?」と聞いてきました。
車椅子に乗せてもらって、病院内の公衆電話からかけてきたようです。

「明日行く予定なんだけど」と言ったら「じゃあ明日、私の家から育毛剤持ってきてよ!」と言われ…
「私、電車で行くので、実家に寄ってから行くと遅くなっちゃうけど」と言ったら「じゃあ、家に寄らないでいいから絶対来てよ!」と言われました。
確かに声はだいぶ元気そうでした…。



父が亡くなって3年、時々具合が悪くなったりしながらも、なんとかひとり暮らしをしてきた母ですが、今後母がひとり暮らしができるのかどうか…
どこまで歩けるようになるかを見ながら、いろいろ考えなければなりません。
しばらくはちょっと忙しくなりそうです。


そんなこんなで、やっと足の腫れがやや引いてきて、がんばろうと思っていた私の「リハビリ」もあまりできておらず…、
クリスマスをはさんだこともあり、体重がまた増えてしまいました!

日曜日にあった稽古納めは出てきましたが、まだ踏込みができないので、面付けをする前の稽古だけ参加してきました。「前身後退素振り」はできますが「早素振り」は無理なんですよね。
でも、ひさしぶり(といっても2週間ですが)の稽古はやっぱり、気持ちよかったです。
黙想をしながら「うん、私が好きなのは、これだよこれ!」って思っていました(笑)

お正月はご馳走が出るに決まってるので、大晦日までにもうちょっと落としたいところです…(汗)

しかしいつも母を囲んでやっていた私の兄弟家族一同の新年会は、母抜きで規模を縮小してやることになりました。
さびしがりの母は悔しいでしょうが…、退院祝いで取り返してもらうしかないですね。
posted by はなずきん at 03:11 | Comment(2) | 近況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月21日

母と子の剣道日誌(61)剣士の休日…?

先週の日曜日の稽古の時のことです。

子供稽古が終わり、N先生の大人稽古の時間の時でした。
ふたりで組んで、小手→体当たり の練習をしていたのですが…相手の足先が、私の右足の指先に強く当たったのです。
その時組んでいたのは男性の先生で、体格も大きい方でした。「だいじょうぶですか?」と聞かれて、けっこう痛いな〜、とは思ったのですが、このくらいの事は良くあるので「だいじょうぶです」と答えて、そのまま気にせず稽古を続けていました。

剣道ははだしで稽古しているので、足先の軽いケガはよくあります。
稀に、爪をはがしちゃったりするようなケガもありますが…。私はやったことないですが、子供がやっちゃったのは見たことがあります。
私も気が付いたら、足から血が出ていた、なんてことはたまにあります。

武道ですから、小さいケガだったら私はほとんど気にしません。手や足裏のマメが破れたり、防具を外されて打たれた時のアザ、なんてしょっちゅうです。
「剣道は、痣とマメはケガのうちに入らない」なんて言うらしいです。剣道をやっていると、痛い事に慣れっこになるので、少々の事では騒がなくなる気がします(笑)。


さて…足がぶつかった後もそのまま稽古を続けていた私ですが、ぶつけて5分くらい経った頃からだんだん足指が痛くなってきました…。
「ちょっと痛い」じゃなくて「だいぶ痛い」のです。右足で踏み込もうと思っても足指が痛くて踏ん張れません。

うん、これはけっこうぶつけ方がひどかったのかな?と思って、稽古の列から外れ、防具を外して、足を確認してみたら…触ってみるとかなり痛いです。ぶつけた直後より腫れてきています。
剣友会備え付けの救急箱から湿布を出してきて、貼って、残りの稽古は見学をしていました。ちょうど終わり頃だったので、見学していたのは10分くらいでしたが。

帰り、靴をはくのも痛いです。防具をしょって、ちょっとびっこをひいているような感じで車に乗り、家に帰りました。でもせいぜい突き指くらいだろう…と思っていました。
が、夜に湿布を貼り替えるためにはがしてみたら…ぶつけた指全体と、指の付け根が青紫色になって、大きく腫れています。こんなに腫れるようなケガはひさしぶりです。
というか、剣道を始めてから、こんなにわかりやすくケガしたのは初めてかもしれません。マメがむけたり、軽い打撲くらいなら何度もありましたが…。

ネットで調べてみたら、青紫色になって腫れている場合は、骨にヒビなどが入っているかもしれないと書いてありました。しっかりと骨折だったら、我慢できないくらい痛い、ということなので、骨折はしていないだろうなと思いましたが…。


…って、1月に1級審査があるのに、骨まで行ってたらマズイなあ…。
とりあえず、医者に行かなきゃ、ということで、翌日の月曜日、整形外科に行ってきました。
もはやぴったりした靴は痛くてはけません。ちょうど足先に余裕がある形のブーツがあったので、それを履いて行きました。


整形外科で湿布をはがしたら、昨日よりさらに青紫色の内出血の部分が増えています。指だけでなく、その指がついているあたりの、足の甲あたりまで微妙に青紫色です。
先生は患部を見て「もしかしたら、折れてるかもしれませんねえ」と言って、レントゲンを撮ってくるように言いました。


レントゲン室でレントゲン写真を撮り、ふたたび診察です。今は、レントゲン写真もデジタルデータなので、写真の現像の時間とかなくって待ち時間が減って楽になりましたよねえ。

すると…幸いな事に、骨には異常はありませんでした!ヒビも入っていないようです。
先生が、私が痛いという指を持って動かしてみて「痛くありませんか?」と聞いてきたのですが、触られている所はすごく痛いのですが、動かして痛いという感じではありません。
「動かして痛くないのなら、骨のほうはやはり大丈夫そうですね。ひどい打撲というところでしょうか」


あー、よかった。打撲なら、1月の審査までには完治できそうです。
医者では湿布をもらって、来週また来るようにと言われました。


しかし、骨に異常がないとはいえ…やっぱり痛いです。歩くのも痛いので、とてもじゃないけど稽古なんて無理です。まして、審査が近いのに無理して治らなかったら困るので、しばらく稽古も自主練も休むことにしました。


最近の私は、週2回の稽古と、稽古以外の日はランニング、素振りを2日に1回くらいはやっていました。体幹を鍛える筋トレも、ちょっとずつですが毎日やっていました。
足の指一本だけの問題なら、筋トレくらいできるんじゃない?と思われるかもしれませんが、足指って案外、何をしていても使う場所でして…。触るだけでも痛くてあまり動きたくないので、そちらもお休みです。
これらを急に全部なくすなんて…せっかく体力ついてきたのに、また落ちちゃいそうだなあって感じなんですが、致し方ありません。


そういえば私、こちらの剣友会に入った時に、スポーツ保険に加入していました。子供は強制加入で、大人は任意加入でしたが、まあ入っておいたほうがいいだろうな…と加入していました。
たいしたケガではないですが、いちおう医者にもかかったし、こういう傷害保険って使ったことがないので、せっかくなので?使ってみようと思いました。
この話はまた別の機会に書こうと思っています。


さて…
日曜日にケガして、月曜日に医者にかかり。
水曜日と次の日曜日の稽古はお休みしました。この間、自主練も全くやっていません。
「本当はやらなきゃいけないのになあ」「でも、今は休めってことなのかな」となんとなく葛藤しつつも、でも「何もやらないと楽は楽だな…」と思ったりもしました(笑)。

しかし、この間、私は少し体重が増えてしまいました!
ずっとやっていた運動を急にやめて、食事量はそんなに変えてなかったからですよね…、すごく太ったわけではないですが、このペースで増えられたら、この後がタイヘンです(^_^.)
うーん、これは早く再開しなければなあと思いつつ…。



日曜日に、剣友会の方から「保険の書類があるので、できれば今日取りに来てください」と連絡がありました。そこで、子供の稽古が終わる頃の時間にいつもの練習場所(小学校の体育館)に行ったのですが…。


着いた時は、ちょうど子供の稽古の最後の「かかり稽古」をやっているところでした。
大人が8〜10人くらい元立ちになり、子供は元立ちに順番にかかっていきます。だいたい、ひとりの元立ちにつき1分くらいでしょうか。ひとり終わったら、その隣に行ってまたすぐにかかります。元立ちを全員相手し終わったら、最後に「切り返し」をしてやっと終わりです。

子供のほうは、ほぼ切れ目なく、ずっとかかっていかなければならないので、大変きつい稽古です。うちの息子はこれが大嫌いで、日曜日の稽古に出たがらないのですが(笑)。
かくいう私も、とてもじゃないけど、かかるほうにはなりたくありません…体力のある若い大人の方は、たまにかかるほうに入っていたりしますけどね。私だったら、5人くらい相手したら、もう立ちあがれなくなる気がしますが(笑)

でも、こういう事をやらないと「いざ」という時の力が出ないのですよね…。
これをこなせている子は、やっぱりふんばりが効くという感じがしますよ。


いつも私は元立ちになっているので、外からこの稽古を眺めたことがほとんどありませんでした。
というかそもそも、大人も混じっている稽古を、自分が「眺める」立場になった事がないというか…。


一生懸命かかっていく子供たち。
気合い声、竹刀で打ちかかる音。
先生の指示する声、相手する大人たち。


「剣道の稽古中の音」を聞いていて、たった一週間のブランクなのに「懐かしいなあ」って思いました。
ふだんでも、用事などで1〜2週間来れない事もたまにはあるのですが、今回は「足以外は元気で、用事もないのに」来られなかったからでしょうね。


やっぱり剣道の稽古は、見ていても気持ちいい空気だなあ…と想いながら眺めていたら、なんだか体がうずうずしてきまして…つい、そばに置いてあった木刀を持って、素振りしてしまいました(笑)
でも、踏み込むとやっぱりまだ、足が痛いですけど。

そういえば、子供の試合はよく動画に撮っていますが、稽古風景を動画に撮った事はなかったなあ。いつも自分が中にいるんだから当然なのですが。
こんな機会めったにないかも、と、iphoneを出してきて、稽古の様子をしばらく撮影していましたが…。



ああ、やっぱり、眺めてるだけじゃつまらないなあ。私もやりたいな。
…そうか、こんな気持ちで、私は剣道を始めてしまったんだったっけ。





子供が警察で習い始めて見学をしていた時、もう、本当にやりたくてしょうがなくなっちゃって…見学しながら、体がうずうずしていた事を思い出しました。
それで無謀にも、剣道未経験どころかほとんどスポーツ経験がなく、当時45歳なのに剣道を始めてしまったわけですが。

実際に始めてみたら、自分の下手さ加減を痛感して、先生にも怒られるばっかりで、たまに「見学だけのほうが良かったのか」なんて思う事もありましたが…
やっぱりあのまま眺めているだけなんて、私には無理だったに違いありません。


こんなにすっかり休んだら、それに慣れて、やる気なくなっちゃうかも…?なんて少し心配していたのですが、むしろ逆でした。やっぱり私、剣道がやりたいんだなと、改めて思いました。


そう考えているうちに、かかり稽古が終わり、全員で蹲踞をして、最後の整列をして、黙想が始まりました。


黙想の時間は、見学の大人たちも一緒に黙想をします。
本来は私もやるべきでしたが…、この日はこのまま、動画を撮らせてもらうことにしました。私の大好きな「黙想」の光景を残しておきたいと思ったのです。
自分が黙想しないでその光景を外から眺めていることってなかったなあ。後ろから見るとこんな感じなのかあ、って思いながら、撮影をしていました。


黙想が終わり、礼をして、先生の話を聞いて…それも全部、動画におさめました。
うん、やっぱり、剣道はこの時間があってこそです。こんなことでもなければ、自分の剣友会の稽古風景の動画を撮ることなどなかったと思うので、ちょうどよかったのかも、と思いました。


私は、技術的にはなかなか進歩しないので、こんなに下手なのにやる意味はあるのか…なんてよく思ってしまうのですが、やっぱり、剣道の稽古自体が好きなんですよね。
それをあらためて実感した「剣士の休日」でした…。


とはいえ、次の水曜日はもともと稽古はお休みする予定で…そうでなくても、ちょっとこの足ではきつそうですが。
しかし次の日曜日、稽古納めには出たいと思っています。素振りくらいなら参加できそうですから。


昨日、ひさしぶりに、家の近くをいつもよりかなりゆっくりランニングをして、踏み込まないような素振りと、形の練習をやりました。切り返しをゆっくりやろうとしたら、足がうまく動かずこけそうになったので、まだ普通の稽古は無理そうです。でもやっぱり、体を動かすのは気持ちいいです。

痛い部分を微妙にかばってしまっているのか、今朝は違う場所の足の筋が微妙に痛くなっちゃいましたが…次の稽古まで、体力を落とさないように、

…そして、体重をこれ以上増やさないようにしたいと思いました(^^)

posted by はなずきん at 14:32 | Comment(7) | 親子で剣道2 剣友会編(1級まで) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月15日

我が家の次男坊(その10)学芸会の終わりに…

前回より続いています。

さて…後半の劇も終わり、一番最後に、演じた6年生全員が舞台に上がり、「すてきな友達」という歌を合唱します。
前半の役の子も舞台に上がり、次男もスワガードの衣装のまま、一緒に歌っていました。

歌が終わり、劇は終わりだな…と思ったら、みんなが舞台に並んだ状態のまま、次男とあと2人の女の子が前に出てきました。
「終わりのことば」です。次男が「終わりのことば」をやるとは私は聞いていなかったので、ちょっとびっくりしましたが、学芸会実行委員がやることになっていたのですね。

他の学年も含めての感想や、自分たちが何をがんばってきたのか…を3人交代でマイクを持って話します。
次男はもちろん、他の学芸会実行委員の子たちも、学芸会をやりとげた、という満足感があったようです。
この「終わりのことば」の時は、3人とも劇の衣装のままでした。次男はスワガード役のかっこうのまま挨拶していたので、ちょっとかっこよかったです(笑)。

そして最後に次男が「気を付け。礼!」と言い、舞台の上の6年生も全員礼をして…学芸会、終了です。
会場は、拍手に包まれました。

この「気を付け、礼!」がぴしっと言えていたのは、剣道のおかげ…ですよね、きっと。(笑)


学芸会が終わった後、舞台の片付けをしなければいけないので次男は忙しそうでしたが、呼び止めて一枚写真を撮ってきました!
とても満足げな顔をしていた、次男です。

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脚本の最初に、6年生の担任の先生が書いた文章がありました。


この劇づくりにあたり、私達担任が目標とすることは、「6年生ひとりひとりが与えられたそれぞれの役割の責任と自覚をもち、目標に向かって進む一つのチームになるようにしよう!!」ということです。
この活動を通して、みんなが演じる楽しさや、劇づくりの素晴らしさを味わってほしいと思っています。

演劇の楽しさ…それは、私たちの現実の世界とは全く別の世界を生き、自分とは違う人物の人生を体験できるということではないでしょうか。そして、それは架空の世界でありながら、日常世界とオーバーラップし、演じることにより自分の生き方を振り返ることもできるのです。

そういう世界は、主役一人でつくりだすことはできませんし、脇役だけでもつくれません。
(↑次男はこの部分に、赤ペンで印をつけていました。)
劇は、舞台の役者の演技と、それをひきたたせる衣装、音楽、効果音、照明、大道具、小道具、背景などの舞台装置が有機的に結びついて初めて出来上がる美しい世界なのです。
役者だけでなくそれぞれの係が呼吸を合わせて取り組まなければつくれないものなのです。ですから、どの役が重要で、どの役が軽いというものではありません。無用な役などないのです。すべてが劇に必要なのです。
そして、観客の方も…演じる側、観る側がひとつの時間、ひとつの空間を共有することにより、初めてつくりあげることが可能な世界なのです。
保護者の皆様、ご協力どうぞよろしくお願いいたします。



次男の心にはこの「主役一人でつくりだすことはできません」というところが響いたんですね。
学芸会に入れこんでいたのは、自分がやりたい役を演じたい、という気持ちが一番強かったのだとは思いますが、6年間一緒に過ごしてきたみんなで、力を合わせて劇を作り上げた、という事も嬉しかったに違いありません。




そして…学芸会後の「学校だより」に、生徒たちの学芸会の感想が載っていました。
6年生は4名の感想が載っていて、誰の感想か名前は書いていなかったのですが、読んですぐ次男の感想だとわかりました。

「この学芸会、6年生として、小学校生活最後の行事が学芸会という一番好きな行事で締めくくれてとても嬉しい気持ちです。悪役として、実行委員として、大道具係として、悔いの残らない何もかも盛りだくさんの学芸会でした。」


次男は「悔いが残らない」と言えるくらい、一生懸命やっていたのですね。

今までも、いろんな行事でがんばっている次男を見てきましたが、学芸会は次男にとって、小学校生活最大のイベントだったに違いありません。
先生たちの尽力はもちろん、みんなの協力があってこそ劇ができたわけですが、おそらく、次男は6年生の中で…いや全校生徒の中で一番、学芸会に賭けていた生徒なのではないかと思いました。




いつも、学校行事の写真(カメラマンが撮影した写真を販売している)は、厳選して少ししか頼まないのですが(だって一枚150円もするんですよ〜)今回の学芸会の写真は奮発して、次男が写ってるのをいっぱい頼んだ私です(^^)


次男の学芸会編、これで完結です。
posted by はなずきん at 14:49 | Comment(8) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月13日

我が家の次男坊(その9)スワガード、活躍!

前回より続いています…。


スワガードと衛兵たちが舞台に上がり、ライオネルと初めて会話するシーン。

スワガードは何も知らないライオネルをだましてお金を取り上げて、ライオネルに「ジリアンにキスすれば美味しい物を食べさせてもらえる」とウソを教えます。
それを真に受けたライオネルが「白鳥の王様亭」に向けて去った後、スワガードと衛兵たちのやりとりがあります。


衛兵1:いいんですか、スワガード様。

衛兵2:そうですよ、ジリアンさんとキスなんて。

スワガード:大丈夫大丈夫、気の強いジリアンのことだ。キスなんてできるはずないさ。まあ、あの小僧がもらえるのは、きつーい一発くらいのものさ。
(衛兵たち大笑い)

衛兵3:なるほど、さすがスワガード様。ジリアンさんの気性をよく知っていらっしゃる。

衛兵4:隊長なんか、今まで何回殴られたことか。

衛兵5:経験者は語る、ってやつですね。

スワガード:やっかましい!
(次男はここでブーツで床をドン!と鳴らしました)
あ〜ジリアン、俺はジリアンの怒った顔を見ると、一層愛しさがつのるのさ。


ここでは、ジリアンに向けての「愛」を照れないで言えなければならないのですが、次男は最初はここの部分は苦手で…私が「こんな感じで言うといい」という指導をした部分です(笑)。
小学校6年生の次男、恋愛経験なんて「片思い」くらいしかないわけですし(^_^.)、こんな歯が浮くようなセリフ、大人だってなかなか言いませんからねえ。
でも、本番ではちゃんと言えてましたよ。



その後、ライオネルとジリアン、タドベリのシーンがあり、町の人たちがパーティを始めてから、ふたたび衛兵隊の登場です。

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↑ここに劇中で、スワガードでは一番長くてめんどくさいセリフがあって…
町の商売をしている人たちの名前をひとりひとり言っていかなければなりません。
次男、脚本に「ややこしいので覚える!」ってメモしています。

間違えず言えるかな、大丈夫かな〜?と思って見ていましたが、本番ではちゃんと言えていました!
他のシーンでも、次男はセリフ間違えや忘れはほぼ、ありませんでした。
ふだんから、ゲームの登場人物のセリフをマネして言っていたりする次男、そういう記憶力はけっこういいようです(笑)。あと、やっぱり熱心に練習したのでしょうね、きっと。


セリフ覚えといえば、主役のライオネルはほぼ出っ放しなので、スワガードとも比較にならないくらいセリフが多く、ひとりで歌うシーンまであり、かなり大変だったのではないかと思います。
演技という面では、まあ小学生…って感じはありましたが、ライオネル役の子は前半、後半ともほぼ完璧にセリフを覚えていて、すごいなあと思いました。
この子たちもきっとがんばってオーディションを勝ち抜いて、そしていっぱい練習したのでしょうね!


さて、この場面で、ジリアンと劇中では初対面のスワガード。
ジリアンに言い寄る演技も次男が苦手だった部分なのですが、私が指導した通りに、おやじっぽくやってくれました。(笑)

町の人たちからお金を取り上げて追い出し、自分のお金を返してくれと頼むライオネルに殴り掛かるスワガード。
それをさっとかわされて、スワガードはこけてしまうのですが…。

こけた時にひっくり返り、片足を上げてぴくぴくしている次男。
これ、次男のいつもの「死ぬマネ」演技ですね…。

それから衛兵たちもライオネルとタドベリに襲い掛かり、しばらく乱闘シーンです。

スワガードはふたたび、医学博士のタドベリにも殴り掛かり、やられて倒され、足を上げてピクピクしています…。
よっぽどこの「やられ方」、舞台でやってみたかったんでしょうね。
次男はこういう漫画的な演技が大好き…っていうか、日常動作からして、漫画の動きっぽいんですけどね(^_^.)。



衛兵隊もスワガードもタドベリとライオネルに倒されてしまいますが、(猫のライオネルはともかく、なんで医学博士のタドベリがそんなに強いんでしょうねえ…謎…)、逆ギレしたスワガードは、銃で脅してタドベリとスワガードをつかまえて牢屋に連れて行きます。

そして一旦幕が閉まり、ふたたび幕の前に衛兵隊たちが出てきます。
そこで「白鳥の王様亭」に火をつける画策を話す、衛兵とスワガードたち。
ここのコミカルなやりとりもなかなかよくやっていました。

最後のスワガードのセリフ。
「ライオネルのやつにジリアンを取られてなるものか。
ジリアンをしっかり見張っておけ。いいか、失敗は許されないぞ!」


セリフが終わるとともに、次男はブーツをガン!と踏み鳴らします。
そして、マントを翻して、衛兵隊を率いて、舞台の下に降りていきました。

ここで前半終了、後半の役の子と交代になります。
次男が舞台に出てくるのは、これで終わりとなりました。


細かいハプニングはありましたが、大きな失敗もなく、無事スワガードを演じ終わりました!
私からすると「もうちょっとこうしたらよかったのに」という部分はちょこちょこありましたが、全体的にはなかなかよくやっていたと思います。


ところで、次男はふだんは友達と喧嘩することなど、ほとんどないと思われます。学校ではわりとおとなしい「博士タイプ」と思われているようなんですよね。(次男の雑学知識はけっこう豊富なんです)
学校では人を怒鳴りつけたりすることもほぼないと思うのです。
家では、兄弟相手にはしょっちゅう切れてどなってますが…。(内弁慶タイプですかね〜)

が、この時のライオネルとのやりとり、衛兵隊への命令、などなど、声を張り上げて相手を圧するようなセリフは、なかなかしっかりしゃべれていました。
6年間一緒だった同じ学年の子供たちにとっても、体の小さい次男の、堂々した演技はちょっと意外だったのではないでしょうか。

後半は、次男の姿は全然見えませんでしたが、大道具係として幕間に舞台上のセッティングを行っていたようです。
劇の一番最後に全員で並んだ時、次男はスワガードの衣装のままだったので、大道具の時もそのかっこうだったのでしょうか?マントを翻して大道具でがんばってるスワガードの姿は、ちょっと笑えるかも(笑)

まだ続きます〜
posted by はなずきん at 23:23 | Comment(2) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月11日

我が家の次男坊(その8)学芸会、当日です!

学芸会当日の話の前に、ひとつ、書き忘れていましたが…
劇中、「前半」と「後半」で役をやる生徒が交代する、と書きましたが、次男は「前半がやりたい」と言っていました。というのも、スワガードは後半はセリフが少ないうえに、最後に改心して善人になってしまうので…「そんなのつまらない」と言っていたんです。(笑)

でも、もうひとりのスワガード役の子(女の子なんです!男らしい子なんですが…(笑))も、前半をやりたいと言っていたので、ふたりでじゃんけんをして…次男は無事、勝ったそうです。
もう一人の子にとっては残念だったでしょうが、私は次男の意気込みを知っていたので、次男が前半になれてよかった…と思いました。


さて…次男の学校の学芸会は、2日間行います。
一日目は金曜日で、生徒鑑賞日。二日目は土曜日で、保護者鑑賞日となっています。
体育館に生徒と保護者全員を入れるときついから分かれているのでしょうね。

生徒鑑賞日は、全校生徒が体育館に集まり、一日中、他学年の劇を見たり自分たちも演じます。
保護者鑑賞日は、観客は保護者のみ(生徒以外という意味)で、生徒たちは「自分たちの演じる出番」だけ体育館にやってきます。その他の時間は、生徒達は授業を受けているのです…。
こんな時まで授業をするとは、授業の時間数が全体的に足りないからでしょうかね〜。

次男の小学校は、一学年2クラスずつしかないので、学年合同で劇をやります。
つまり、一日で6種類の劇を上演するのです。

児童鑑賞日の朝、次男は緊張していたようですが、張り切って出かけていきました。
そして、満足げな顔で帰ってきました。「今日はやりきれた!」と言います。
それを見て帰ってきた娘も「○○(次男)、すごくうまかったんだよ!クラスの子からも、お兄ちゃん上手だねって言われたし、学芸会の感想を書かされたんだけど、自分の事よりも○○のことばっかり書いちゃった」と言っていました。

そういえば、全然娘の劇の事を書いてなかったですねえ。
娘の学年は「どろぼうがっこう」という絵本が元の劇をやりました。
が、娘はあまり大役を演じる自信がなかったらしく、セリフがひとつしかない役を選んできました…。あと、何人かでやる「語り」の役も兼ねていましたが、劇全体を通して、ひとりでしゃべるセリフは4つしかありませんでした。

でも、舞台の上ではそれなりに大きい声も出ていて(娘はもともと声が大きいほうです)、堂々と演技していたのですが…やろうと思えば、もうちょっとセリフの多い役もできると思うんですが、演技をするのにまだどこか照れがあるのでしょうね。音読の宿題の時に「こうやって読むといい」って見本をやってみせても、恥ずかしがってマネしないですから。
#娘は、音読の声は大きいのですが、ほぼ棒読みなんです…。

娘がふたたび学芸会をやるのは、次男と同じ6年の時なので、それまでにふっきれて(?)今度は大役にチャレンジしてくれないかな?ってちょっと期待しているのですが…。


さて、いよいよ保護者鑑賞日がやってきました。
私と主人、長男に加えて、学校行事をよく見に来てくれる義母、そして日本の学校の学芸会を見てみたい、という希望で、義妹家族もやってきました。(義妹のご主人はアメリカ人です)

まずは最初の1年生の劇を見て、次に3年生の娘が出る劇を見ましたが、6年生の劇はプログラムの一番最後で、上演時間までかなり間がありました。義妹の子供は5歳の男の子なのですが、日本語がわからないので、他の学年の劇の間中ずっと待たせているのはちょっと無理そうです。なので、一旦家に帰り、また6年の劇の前に来ることにしたのでした。


ところで、子供の小学校の学芸会では、4年生以上は、劇の役を演じるだけでなく、大道具や照明などの裏方の仕事もやっています。
私の小学校の学芸会では、裏方の係は舞台に出なかった気がしますが…子供の小学校は、舞台に出ない子はいません。全員が必ず1回は舞台に上がり、さらに裏方も最低一役はこなすことになっているようです。

次男は大道具係をやっていて、学芸会前にはよく服を絵具だらけにして帰ってきていました。
ふだんから街の風景などを描くのが大好きな次男ですから、きっと楽しんで大道具を作っていたことでしょう。


さあ「人間になりたがった猫」開幕です!
最初の場面はダンスタンの森、猫のライオネルと魔法使いステファヌスのシーン。
そしてライオネルが街に出てきて、ひともんちゃくあって…

さあ、次はいよいよ衛兵隊の登場です。
私は脚本読みを手伝っていたので、どこで次男が出てくるかはほとんど覚えていました(笑)。

舞台の上で街の人たちが集まっているところに…
舞台の下の横から、「衛兵隊のうた」を歌いながら、それに合わせて衛兵隊がざっ、ざっ、と行進してきます。衛兵隊の先頭はもちろん、赤いマントをつけたスワガードです。


「衛兵隊のうた」
♪豊かな我が町あぶないぞ 衛兵隊の出動だ
町を守る兵士たち 悪人ども取り締まれ♪



メロディは「おたまじゃくしはカエルの子」のものです。
「豊かな我が町あぶないぞ」をスワガードが歌い、「衛兵隊の出動だ」は衛兵たちが歌います。
「町を守る兵士たち」をまたスワガード、「悪人ども取り締まれ」は衛兵。
このかけあい、なかなかいいですね。

歌が終わると同時に、衛兵は手にした槍を「ドン!」と床に打ち付けて鳴らして(スワガードは槍を持ってないので、ブーツでガン!とやっていました)、舞台の下中央で衛兵隊全員がザッ、と客席側を向きました。
なかなかカッコイイ登場シーンではないでしょうか。

この「衛兵隊の歌」を次男が作った(替え歌なので、作詞だけですが)という事は知っていましたが、歌いながら行進して登場する、という事を提案したのは、次男なのだ…という事を、学芸会が終わってから知りました。

基本的に演技指導は担任の先生が行っていますが、6年生だと、役づくりや演技のやり方を自分たちで考える部分もあります。ただ「劇中に台本以外のものを入れる」というような提案をしたのは、次男だけだったそうです。

ただ、この時ちょっとハプニングがあって…
次男の帽子が行進途中に頭からずり落ちてしまったのです。
次男は帽子を直しながら行進しましたが、またスワガードがセリフをしゃべる前に帽子が落ちかかります。
仕方なく、帽子を外して横に抱えたまま、次男は最初のスワガードのセリフをしゃべりはじめました。
そして、舞台に上がる時に、ふたたび帽子をかぶり直していました。

後から聞いたら、帽子は前日から落ちやすかったそうで…直しておけば良かったのに…。実はその後も何度か、帽子が落ちそうになって直したりしていました(笑)。
でも、そんな状態でも慌てず演技を継続できたのはたいしたものだと思いました。


「俺様は、この街の衛兵隊長のスワガード様だ。
税金を払わないやつ、規則を守らないやつは、片っ端から牢屋にぶちこんでやる!」


うん、セリフも早口にならず、ちゃんとしゃべれています。
目線が少し落ちていて、微妙に客席のほうを見れてませんが(笑)まあ、そのくらいはご愛嬌でしょう。

その後、街の人たちがいる舞台に上がり、街の人を追い払い、ライオネルとのやりとりがあります。
ここだけで、けっこう長いセリフが8回もあります。
衛兵とスワガードとのコミカルなやりとりもあるのですが、衛兵役の子たちもなかなか上手いですね。

ちなみに警察剣道で一緒だったRM君、次男の部下の衛兵役でした。
ふだんからけっこう「エラそう」なしゃべり方をするRM君、衛兵役はぴったりです(笑)


次回に続きます!

posted by はなずきん at 15:23 | Comment(1) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする