2015年11月15日

母と子の剣道日誌(59)武士道シックスティーンを読んで…私にとって剣道とは?(後篇)

母と子の剣道日誌(57)武士道シックスティーンを読んで…私にとって剣道とは?(前篇)
母と子の剣道日誌(58)武士道シックスティーンを読んで…私にとって剣道とは?(中篇)
から続いています。

(小説のネタバレを含んでいます、ご注意ください)


その後香織は、自分は選手として出場していない玉竜旗(福岡で毎年行われる高校の全国の剣道大会。有名な大会です)の試合を見学に行きます。
香織の所属する剣道部は出場をしていますが、そこで部員たちや、部長の村浜さんの戦いぶりを見て考えます。

玉竜旗は剣道の団体戦では珍しい「勝ち抜き戦」です。
普通、団体戦は「先鋒VS先鋒」「次鋒VS次鋒」といった感じで各チームの人数分の試合を行い、最終的に勝ち数の多いチームが勝ち、という形式が多いのですが…

玉竜旗は勝った選手はそのまま残り、相手チームの次の選手と戦います。負けるまで戦い続けるわけです。
一番最後に試合をすることになる「大将」は、相手の選手が4人残っていたら、4人と戦って勝たなければなりません。大将にかかる責任は、普通の団体戦以上に強いわけです。
(逆に最初の人が強ければ、大将に試合が来る前に終わってしまったりもしますが)

香織が見に行った時は、試合が大将戦までもつれこむことが多く、村浜部長は「自分が何人も勝たないと先に進めない」という重圧を背負って試合にのぞみます。
それで4回戦まで勝ち抜いて、残念ながら負けてしまったのですが…

「そんな重圧を背負って立つ彼女の姿が、とてつもなく頼もしく見えた」
「自分は村浜に比べて、なんて小さいんだろう」

と香織は感じます。


その後行われたインターハイでも、香織は村浜の個人戦を見に行きます。
ベスト16という成績で終わり「高校生としての大会をすべて終え、泣きながら顧問の手を握る彼女の姿を」見て、香織は「尊い」と感じます。
「世のためを思い、他人を敬い、精進を怠らない」村浜に。
自分が全中(全国中学校剣道大会)で2位になった時にすら「決勝で負けたこと」に悔しくて納得できなかった香織が、です。

自分はひとりで強くなったつもりで、勝った時は奢り、負けた時は腐り、周囲に感謝なんかしていなかった。
剣道の大会を支えてくれる人、自分を支えてくれる人がいた事に気づかなかった。自分は今まで何を見てきたんだろう…と香織は気が付きます。

そしてその後、香織は早苗にこう言います。
「小さい魂しかない奴の剣道は小さいし、デカい魂を持つ奴の剣道は、やっぱりデカいよ。
あたしは…デカい剣道をやりたい。
剣道の周りにゴテゴテ余計なものをつけて大きくするんじゃなくて、剣道そのものを、大きくやりたい…」



この部分は、なるほどなあ、と思いながら読みました。

漫画でも、村浜部長は「肚が座っている」「こういうのがいるチームは安心して戦える」と書かれていますが…
私も「この人にならまかせられる」と思ってもらえるような人になりたい、のです。
もちろん、剣道の技術や試合そのもので、私がそれを実現するのは難しいですけれども(笑)、「こんなにがんばっている人になら任せてもいい」とか「精一杯やってくれる人だ」と感じてもらえるような…そんな選手に、そんな人間になりたい、と思うのです。

私はいろんな人の剣道を見て「こういう戦い方、いいな」と感じる事がありますが…
私も、人から見て「この人の剣道、いいなと思ってもらえる」ような。
そして「いい試合だったと思ってもらえるような」
「自分が見たとしても、いいなと思えるような」
その時なりの自分を出し切れる試合をしたい、のです。


だから「ただ上手くなる、きれいにできる」だけでは何かが違う。
「勝つだけ」では仕方ないが、勝てるようになるためには自分を追い詰めて、そこを乗り越えなければ。そして、その状況に打ち勝てる自分になりたいのです。
その経験が、これからの人生にも生きてくるような気がします。

私は剣道専門の選手ではないし、それに生活をささげているわけでもないので、あくまでも「趣味の範囲内」ではありますが…主婦として、中年として(笑)できる範囲内で、精一杯やりたい、と思うのです。



ところで、武士道シックスティーンの話からは離れますが…

うちの主人は、剣道経験者なので、一時期はよく私と剣道の話をしていました。
でもここしばらく、私の剣道話を聞きたそうな感じを受けなかったので…ほとんど話をしたことがありませんでした。
が最近、主人が私の話を聞きたがらなかった理由を初めて聞いたのです。

主人いわく
「おまえは、好きになったものにはぐっとのめりこんで、それなりのレベルになるのに、ある程度まで行くとパタッとやめてしまうところがある。剣道もそうなるんじゃないかと心配していた」と。

確かに、私は今までいろんな事を「それなりのレベルまでやって」は、興味を失ってやめてしまう…というところがありました。
でも、剣道は今までの趣味とは違う、と思っています。
それは、何度も挫折しそうになり、それをなんとか乗り越えてここまできたからです。

いままでの「頭と労力を使えばそれなりのレベルになっていた趣味」とは違い、剣道は実際に自分の体を使って、体力を維持して稽古を続けていかなければ上達は見込めません。
今までの趣味とは違って、もともと私の得意分野ではないものですし、まして中年で体力は下り坂ですから…かなり努力をしていかないといけないわけで。

そして、人に教えを請わなくてはいけない、というのも違います。
私はあまり習い事の教室などに通うのが好きではなく、今まで好きになったものはほとんど「独学」でやってきましたが…それだけに、興味が離れると、ぱたっとやらなくなってしまっていたわけです。

でも、剣道は教えてくれる先生がいて、一緒に習っている人たちがいます。
N先生の稽古は本当に面白いし、がんばっているパパさん剣士を見て励みに感じることもあります。
続けることでただ上手くなる、というだけでなく「級や段を取る」という目標もあります。

N先生は「剣道を教わりたい」と思っている人には、情熱を持って本当に熱心に教えてくださいます。
教えてくれる技術も、かけてくれる言葉も「上手くなりたいと思っている人を、上手くさせてあげたい」という気持ちから、なのでしょうね。
私もそれを感じて「N先生の期待に応えて、少しでも上手くなりたい」とも思います。中途半端なところで辞めてしまったら、教えて下さったN先生にも申し訳ないです。


私は主人に言いました。
「剣道は、これまで努力して積み重ねてきたものがある。途中でほおり出すのはもったいないし、そんなことはしたくない。だから、今までの趣味とは違うよ」と。

…とまあ、そう言ったからには、そう実行しなくてはなりません(笑)
これも「自分に勝つ」修業の一環として…ここで公言しておきたいと思います。




私は昔から、戦いの前の高揚感を感じるのがとても好きでした。
普通、女性というのは、戦いを好まない人が多いのではないかと思いますが…私はどこか男性的な部分があるのではないかと思います。

剣客商売や鬼平犯科帳を読んだ時も、どんなピンチの時でも勝つ主人公たちをカッコイイと思っていました。
小説を読んだり、映画やドラマを見てそういう高揚感を感じる事はよくありました。
でも、実際に自分が「戦って」勝つような事はほとんどしてこなかったのです。
小説の登場人物の、平蔵や三冬たちは「好きだけど、遠い存在」だと思っていました。

でも私は、剣道をやりたい…と思った時…自分が「応援している側」ではなく「応援される側」になりたかった、のです。
小説のヒーローたちほど強くはなれないのは確かですけれども、それに近づきたかったのです。
そして今は、その一歩を踏み出すことができている、のです。


剣道の試合の時の緊張感は、私が今まで経験したことがないものでした。
ただ人前に出て何かをする、というだけでなく、自分やチームをしょって試合場に一人で、戦う相手と向かい合って立たなければならない…
相手に、自分に打ち勝つために冷静にならなければならない…そしてわずか3分の間に、自分が積み重ねてきたものを、ここで出し切らなければいけないという重圧。
それだけに、それをはねのけて、今の自分にやれる事をやりきった…と思えた時の充足感は、何にも代えがたいものでした。

まだまだ初心者の私が試合に挑むのは、正直「きつい」部分もあります。
試合をして自分の力を試してみたい、という気持ちと同じくらい、思うようにできなかったらどうしよう…という心配もありますが…
だからこそ、やらねばならない、と思うのです。




剣道に憧れて始め、実際にやってみてもっと好きになって。
強くなりたいのです。剣道の技術も、精神も。
そして人としても、大きくなりたい。

だから私は剣道を続ける…のだと思います。



武士道シックスティーンの主人公たちと私は、剣道を始めた理由も立場も違いますが…
小説を読んで、あらためていろいろと考えさせられました。
次は、続編を読んでみたいと思っています。
posted by はなずきん at 15:59 | Comment(2) | 剣道小説、漫画、映画などの感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

母と子の剣道日誌(58)武士道シックスティーンを読んで…私にとって剣道とは?(中篇)

母と子の剣道日誌(57)武士道シックスティーンを読んで…私にとって剣道とは?(前篇)」から続いています。

(小説のネタバレを含んでいますのでご注意ください!)

武士道シックスティーンの小説版では、なぜ剣道をやるのか、剣道で何を目指すのか?という問いかけが各所にあります。

幼い頃からずっと剣道一筋。剣道をやって勝つのが当たり前で、すべてを「勝ち負け」でしか見てこなかった香織。

ずっと日本舞踊を習ってきたが、家の事情でお金のかかる日本舞踊を続けられず、「似ている部分があるから」と中学で剣道部に入部した早苗。
もともと呑気なキャラクターで、剣道の雰囲気が好きでやっている早苗は「勝ちたい」という気持ちは薄いのですが、早苗が「勝ち負けにこだわりたくない」のは他にも理由があります。
早苗の父親が事業の研究の権利をめぐる裁判で負け、家出同然でいなくなってしまったからです。


最初から相手を「斬る」つもりで試合に挑み、時には反則技を使ってまで勝とうとする早苗。
中学時代は個人で全国2位になっています。

いっぽう、早苗は中学時代はこれといった戦績がありません。
日舞で鍛えた足腰の強さと、相手を見る目がある早苗は、全く殺気がないのに、強い人との試合の緊張感や技のやりとりが楽しくて、強い人には勝ってしまったりするのです。

中学最後の試合で、全然強そうに見えない早苗に見事に面を取られて負けてしまった早苗は、いったいなぜ自分が負けたのか…なぜ早苗は「強い相手にだけ」勝てるのか…そこにこだわり続けます。

香織は、自分が通ってきた厳しい道場とは違う、高校の部活の「ぬるい剣道」に嫌気がさしつつも、1年生ながらインターハイにも参加して団体戦で優勝を収めます。
が、それから香織は「なぜ、自分は剣道をやってきたのだろう」「ずっと勝ち続けて、どうするのだろう」という気持ちにとらわれ、剣道をやる気を失い、試合にも勝てなくなってしまいます。


迷いを持ったままの香織は、子供の頃からなじみの武道具屋の「たつじい」のところに行きます。
たつじいは、香織に「五輪書」(宮本武蔵が書いた剣術の指南書)を薦めて読ませた人で、香織はそれを座右の銘としていつも持ち歩き読んでいるのですが…

(以下、セリフは小説の引用そのままではなく、おおまかな要約をしながら書いています)

たつじいは、五輪書は
「剣術の指南書としては、心構えばかりで、具体的にどうしたらいいかが書いていない」
「武蔵が60の時に書いたということは、自分の人生を振り返って、昔はすごかった、俺はこんなすごい事をした、と書きたかった本ではないのか」
と言います。
五輪書を愛読している香織は
「五輪書を年寄りの自慢話みたいに言うのをやめてほしい、そもそもあたしがもっと強くなれるようにと私に薦めてくれたのではないのか」
と言いますが…

たつじいは、そこで香織から聞いていた、早苗の話をし出します。

「早苗ちゃんは、構えが良くなるとか、技ができるようになるとか、自分の成長こそ剣道をする目的だ、という子なんだよね」
「奴の理想論のほうが、あたしの勝負論より優れているとでも言いたいの」
「香織ちゃんの勝負論も、その子の自己成長重視型の姿勢も、大差ないと思うけどね。
勝ち負けに拘るってのは、要は相手に勝って喜ぶということ。相手より自分のほうがある時点では優れていた。そのことを確認して、安心するってことだろう。
つまり、比較の対象が他人というわけだ。
対して早苗ちゃんは、習った技ができるようになる、前よりも構えがよくなる。それは過去の自分を比較対象にしているってことじゃないか。
要は両方とも、今の自分と何かを比べて、その比較対象より優れていたらいい、劣っていたら駄目という判断をしていることになる。その点においては考え方は同じだ。
それを悪いと言っているわけではないが、それがすべてでは、大切なものを見失ってしまうんじゃないか

「なに、大切なことって」
「それを五輪書から読み取ってほしかったんだけどね」


たつじいは「五輪書から読み取ってほしかったこと」がなんだったかは言わないのですが…
後に香織が、早苗に向けて言っているのです。
「あたしはてっきり、武蔵は自分の創始した二天一流を、後世に残すために書いたんだとばっかり思ってた。でも、何回も読みかえしてみて、武蔵は剣術とか兵法が、好きで好きでしょうがなかったんだろうなって…そう感じるようになったんだ。
好きで始めたことなのに、それの何が好きだったのか、見失っちゃうことってあると思うんだよ。
でも、そういう時は確かめりゃいいんだよな。原点に帰るとか、そういうこと。そういうのは初めて実感したっていうか、再確認したっていうか」


私はここの部分を読んで、たつじいのセリフに対して「う〜ん、そうなのかな?」と考え込んでしまいました。
私が剣道をしている理由は「剣道が好きだから、やっていて楽しいから」なのですが、やりがいを感じるのは「自分が成長したと思えた時」なのです。それは、他人に勝てるようになる、ということを含めて、です。


私は香織とは違い「剣道の何が好きだったのか」を見失ったことはないのですが…
「自分が剣道をやる事に、意味があるのか」と考えた事は何度もあります。

だって、剣道が好きだったら、見ているだけだっていいわけで…
どんなにやってもたいしたレベルにはならないと思われる自分。
他の人に相手してもらうのも躊躇してしまうようなレベルのままだったら…
そう考えると、いくら好きでも…一生懸命やっているのに全然上達しなかったら、やはりやる気を継続していくのは難しいでしょう。

そもそもの私の目標は
「本当に戦える人になりたい」「カッコイイ女性になりたい」「逃げない人になりたい」
だったわけですが、「逃げない」はともかくとして、「カッコよく」なれるかどうかはいまだ微妙です。
やや鈍めで体力もあるとは言えない私は、何度も何度も反復練習をしないと、なかなか必要な動作が身に着いていかないからです。

となると、人と同じように上手くなる、というのはなかなか難しいわけで、技術的にも「自分なりの目標」を持っていないと、剣道を続けるモチベーションを見失ってしまいかねません。
私の場合は、剣道を始めた時期自体が遅いうえに、運動神経もさほどでないので、「人より強くなる」ことを目指しているわけではありません。
それだけに「過去の自分との比較」って大事な事だと思うんです。

年を取れば前より動けなくなるでしょうから、単に技術的なことだけの「比較」は意味がないと思いますが、努力をしているからこそ「できることが増える」わけです。
剣道を続けていくことで、体力や技術以外の「何か」が身について、動けなくても勝てるようになるかもしれません。
実際、ほとんど動かないのに、若い人に勝てる老剣士も多くいらっしゃいます。

私のように、技術的には「たいしたことない」人間は…
ただ「好き」なだけではなく、そういう、努力も技術も精神も、全体をひっくるめての「成長」を感じられてこそ、剣道を続ける気持ちを持ち続けられるのではないか、と思いました。
もちろん、根本に「剣道が好き」な気持ちがあるからこそ、それを「やりがいがある」と感じるのでしょうけれども。

まあ、小さい頃から剣道一筋の香織と、剣道が好きになって大人から始めた私とでは、たどった道も何も全然違うわけで…
そのあたりは小説に書かれていることとはちょっと違うかな〜、と思ったのですが、そこであらためて「自分はどうなのか」と考えられたのは収穫でした。


まだまだ長くなってしまったので、続きます〜。

posted by はなずきん at 15:08 | Comment(6) | 剣道小説、漫画、映画などの感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする