2005年08月07日

「ダイエットしないで痩せる方法」その後の話(その1)

サニクラのほうの日記で、今月は(今までちょうどよかった)Lサイズが大きくなりすぎてしまってもう合わない…ということを書いたらかなり反響があり、こちらでもう少し詳しく私のダイエットの話を書きたいと思います。

「ダイエットしないで痩せる方法」の本では、「自分が食べたいと思うものを空腹な時だけに食べる、空腹でなくなったらやめる」という方法のみで「自然と体重が落ちる」というように書かれていましたが(このあたりの話については以前の日記をお読みください。)私はそこに少しアレンジを加えて実行してみました。

まず「空腹時にのみ食べる」というやり方ですが、一家の主婦が「好きな時に好きなだけ」食べていたら家族の生活がばらばらになってしまいます。
なので、一日3食の時間とペースは崩さず、「次の食事を取るまでに空腹になると思われる量」を考えて食べることにしました。
たとえば朝寝坊して昼に近い時間に朝食をとる場合は、「空腹でなくなるまで」は食べずに少し量を控えめにするわけです。

私は「ダイエットしないで痩せる方法」を実行するにあたって、それまでしていた「計るだけダイエット」もそのまま続けることにしました。
「ダイエットしないでやせる方法」では、体重の増減はあまり気にしないように、体重に振り回されてストレスになるのはよくない、というようなことが書かれていたと思いますが、私の場合は「体重をはからないことのほうがストレスになる」と思ったので、体重の記録は続けることにしました。
ダイエットでは「ストレスをためない」ことが重要です。ストレスがたまると食事を減らしてもなかなか体重は落ちていかないんだそうです。だからこの本では「食べたいものは我慢せず食べるように」と勧めているわけです。
どんなダイエット法を実行するにしても、ストレスがたまらず細く長く続けることができるのが成功のカギではないかと思いますので、私はどんなことをやるときも「その方法の真髄を理解したうえでの自己流アレンジ」をしています。

私の場合は、体重をきっちり量ることも、ある程度の食事内容のコントロールもさして苦になりませんでしたが、それが人によっては強いストレスに結びつく場合もあると思います。ストレスをためないように、その人なりにどういうやり方がいいのか考える必要があると思います。


「計るだけダイエット」を実行していると、夜遅く高カロリーなものを食べると、少なくともその翌日には体重が増えてしまうのがわかりました。
そうすると自然と翌日の量が減るはずなので、長期にわたってみれば太るということはないのでしょうけれども、やっぱり体重が増えるのはあまりいい気分ではないのです。
なのでできるだけ夕食の時間を早めにするように心がけ、夜寝るまでにあまり時間がない時に夕食をとらざるを得ない場合は少し量を控えめにすることにしました。

「計るだけダイエット」は朝(排便後で朝食前)と夜(夕食後となっていますが、私は就寝前)に体重を量る、というだけのことですが、これがわかりやすくてよかったのです。
最初のうちは朝晩だけでなくしょっちゅう体重を計ってみました。
朝が一番体重が少なく、食事をすると体重が増え、次の食事の前には少し減り、夜寝て朝起きるとその間に少し体重が落ちています。
食べ過ぎるとちゃんと体重が増えますし、運動を多めにすると体重が減っています。夜食べる時間が遅かったり多かったりすると朝までに体重があまり落ちていません。
「ダイエットしないで痩せる方法」を読むまでは、一日の間の体重の増減がかなり大きく、朝と夜の体重差が1キロくらいありましたが(要は食べ過ぎだったのですね)現在は朝と夜の差は700グラムくらいにとどまっています。
あまり食べ過ぎず、適度に運動できた日は朝と夜の体重が300グラム差くらいだったり、あるいは同じくらいのときもありました。

こういうやり方で、一日50-100グラム減くらいの目標で少しずつ体重を減らしていきました。
順調に減るときもあれば、停滞するときもありますし、微妙に増えるときもありますが、急に減りすぎた時はやっぱり後で少し「戻り」が入ります。
なので少しの「戻り」は気にせず、だいたい同じくらい(朝の体重でプラスマイナス500グラムくらい)の体重で推移していればよしとしています。
また生理前後は体重が落ちづらいので、そのときは「あまり増やさないよう気をつける」程度にします。

食事の内容は、基本的には「食べたいものを食べる」ことにしましたが、ベースはできるだけヘルシーにするようこころがけました。
野菜をとにかく多めに摂る、油分はやや控えめ(油分をあまり取ると気持ち悪くなります)たんぱく質は豊富に摂る。
肉の脂分が気になるようになってきたので、豆腐、納豆など大豆製品を積極的にとりました。
朝食は一番ヘルシーにまとめやすいので、メインは魚と決めて、野菜を最低1品つけることにしました。料理がさして好きでない私は、野菜料理といってもだいたいおひたしとかですが(笑)。

「計るだけダイエット」をしていると、ついつい体重を減らすことだけに力が入ってしまって、必要以上に食事を減らしてしまうことがありがちなようですが、筋肉を減らしてしまうとリバウンドして余計に脂肪がついてしまいますので、たんぱく質はしっかり摂るように気をつけたほうがいいと思います。
私は肉や魚の摂取量は以前に比べるとかなり減ったと思いますが、大豆製品を摂っているせいか、筋肉量はほとんど落ちていません。減ったのはほとんど脂肪のようです。
筋肉量(体脂肪の量)を知るためにも、体重計を買うときは体脂肪計付きのものをおすすめします。
(次回に続く)
posted by はなずきん at 00:03 | Comment(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月06日

「高機能自閉症」という”個性”(その7)療育センターへの通院と、幼稚園に入ってから

(その6 より続いています)

長男は高機能自閉症という診断を受けた後も、幼稚園に入園するまでは療育センターに週に一度くらいの割合で通い続けました。(現在はやや落ち着いているので、月に一度くらい様子見程度に行っています。)
今度は「検査」ではなく「訓練」のためです。
とはいっても、やっていることは今までの「検査」とそんなに差はなく、ただ長男が苦手としている分野の補完をするような内容のものをすることが多かったです。

この「訓練」が長男の症状(落ち着きがない、人に手を出す)の改善につながったのか…というと、それはどうかな?という気がします。
ただ、ちょうどこの頃から長男は(以前よりは)やや落ち着いてはきたのですが、それはもともと精神的にかなり成長する時期であったのと、幼稚園に入って集団生活を始めたことのほうが、長男の行動に与える影響は大きかったようです。
ただ、療育センターに行くことによって、長男が自分の特性を理解している人と接することができたこと、そして私が専門家と話ができたことはよかったのではないかと思います。

※後日追加
長男は、小学校低学年〜中学年頃は(訓練の必要がないと思ったので)療育センターに行っていなかったのですが、小学校高学年で問題行動を起こすようになったときに、自分から「療育センターに行きたい」と言い出して、中学を卒業するくらいまで、数か月に一度程度の頻度で通っていました。小さい頃の担当の先生がずっといたので、同じ先生に見てもらえたのはとても良かったようです。
長男にとっては、小さい頃から自分のことを理解してくれていた、療育センターの先生は頼りになる存在だったようです。
中学2年からは通級とも並行して通っていましたが、それぞれいい影響をもたらしてくれたと思っています。


幼稚園入園の面接の時は、長男はまだ療育センターに検査に通っている途中で、高機能自閉症という診断はついていませんでした。
しかし、落ち着きがなく、よその子に手を出すのは続いていたので、そのことを正直に幼稚園に伝えたところ、4月に入園ができるかどうかはわからないと言われました。

というのも、年少さんの入園直後というのは大変なもので先生の目も行き届かない。その中でよその子に手を出したり、どこかに行ってしまったりする子がいると、周囲も大変だし本人にとってもいいことがないと。どのくらいの程度かにもよるが、6月くらいに入園することになるかもしれないと言われました。
療育センターに通っていることを言ったら、では診断がついたら改めて連絡してください、それから様子を見ましょうということになりました。

正直、入園の面接の後は私はがっくりきました。
なぜなら、ここの幼稚園は面接の結果で入園できなくなることはなく、全員が入れると近所の奥さんから聞いていたからです。
入園できないと言われたわけではなく、時期が保留になっただけですが、4月になったら入園式に子供とともに出られるのだ…と少しウキウキしていた私にとって、まさか「入園時期保留」になることがあるとは予想もしなかったことでした。
初めての子供の入園式、出たかったのになあ…どうなるのかなあ…と入園時期が決まるまでは気が気ではありませんでした。

その後「高機能自閉症」という診断が下りたのですが、診断をした先生は
「この子の場合は、普通の幼稚園に入れたほうがいいでしょう」
とおっしゃったので、幼稚園のほうにも長男が高機能自閉症であるということ、普通の幼稚園に入ったほうがいいと言われたことを伝えました。

この時点では、高機能自閉症というのがどういうものであるか、というのは幼稚園側ではきちんと理解できていなかったようで、
「自閉症には見えませんけどねえ」
と言われたものです。この幼稚園では知能に遅れのある自閉症の子も預かっているのですが、だからなおさら誤解されたのでしょう。
とりあえず、実際に何度か長男を預かってもらい、それで4月に入園できるかどうかを判断してもらうことになりました。
その結果、ようやく「4月入園可能です」ということで入園許可が下りて、私はようやく安堵することができました。


実際幼稚園に入れてみてびっくりしたのは、意外と先生の言うことを聞いているらしいということと、思ったほどちょろちょろはしていないということでした。
他の子と比べるとやっぱり落ち着きがないほうではあるのですが、私が予想していたよりはずいぶんと集団生活になじんでいるようなのです。
担任の先生には高機能自閉症であることを伝えてあったのですが、担任の先生も考えていたよりも長男が「話を聞いてくれる」ので拍子抜け?したようです。
ダンナいわく、社会的規範は守りたいほうなので、集団生活になると家にいるのとはちょっと違うんじゃないかと…。

同じクラスの友達にも嫌われるんじゃないか、と思っていたのですが、長男はかなり目立つほうらしく、意外にクラスメイトの受けも悪くないようなんですね。
お休みすると「今日は○○君(長男)、いないね」と心配してくれるクラスメイトもいるそうです。

長男は幼稚園自体が楽しいと感じていたようで、入園当初から長男はぐずることもなく、喜んで幼稚園に行っていました。
ただ、夏休みが近づく頃に急に「幼稚園に行きたくない」と言い出し、朝家から連れ出すのにはちょっと苦労した時期がありました。
連れていってしまえばそれなりに楽しく遊んでいるようなのですが、家を出る前は「お母さんがいないから幼稚園に行きたくない」だの「○○君がイヤだから行きたくない」だのかなりごねられました。

以前、次男が生まれた時に保育園に一時的に預けたときもそうだったのですが…長男はどうも「状況を理解する」のが鈍いようで、環境に慣れた頃に「イヤだ」というところが出てくるようなんですね。
幼稚園でも、幼稚園の生活に慣れて周囲の友達との関係がある程度できてきたからこそ、イヤな部分のほうが気になるようになってきたのではないか…と思います。

夏休みが終わるときがちょっと心配なのですが、とりあえず夏休みの間はせいぜい甘えさせておこうと思っています。


なんだかばらばらととりとめなく綴ってきましたが、今回でひとまず高機能自閉症の話は終わりです。
まだ書くべきことはあるのですが、まとめるのに時間がかかりそうなので、またの機会にしたいと思います。

posted by はなずきん at 00:15 | Comment(0) | 妊娠、出産、育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月04日

「高機能自閉症」という”個性”(その6)意外と多い、自分で気づいていない「自閉症の大人」

(その5より続いています)

私の今までの記事を読んで「もしかしたらうちの子やダンナも」「私もそうかも」と思う方もいたかと思います。
実は、私はそういう方のために、この記事を書いたつもりなのです。
私がそうであったように、これが「障碍」であるとは気付きにくいものなので…。


自閉症であるという診断を受ける(もしくは自覚をする)のは最初ツライことですが、それはその人自身の内面を知ることにもつながるわけで、今まで「なんで自分(子供)は他人とこんなに違うのだろう」と悩んできた人には、自分(子供)がそういう傾向の人間なのだ、どういう対処をしていけばいいのかと知ることはプラスにつなげられると思うのです。


しかし高機能自閉症であるかどうかは、きちんと検査を行わないと正確な診断はできないそうです。高機能自閉症という概念自体がまだ新しいため、診断基準そのものが専門家によって違ったりもします。
気になることがある場合は、専門機関に行って診断してもらうと良いと思います。
なお高機能自閉症とほぼ同義の単語として”アスペルガー症候群”という言い方もありますが、このあたりの概念の違いを説明するのはややこしい話になるので、詳しく知りたい方は専門書などをお読みになってください。

長男は療育センターで長いこと「検査」をさせられましたが、自閉症の診断のためにされているとは私はその間は全く知りませんでした。
なぜそういう検査をしているのか、これがいったいいつまで続くのか…ということが私にはわからず、長男も検査を一部嫌がることがあったり、これが本当に長男の「症状の改善」に結びつくのかということに疑問を感じることもありました。
おそらく、事前にそう言ってしまうとショックを受ける人(親)が多いのと、診断の結果そうでない場合のフォローが難しくなってしまうからだとは思うのですが…私は事前に、どういう目的で検査をされているのかきちんと教えてほしかったです。


少し話が変わりますが、自閉傾向の人はやはり自閉傾向の人と仲良くなることが多い…のだそうです。人との距離感の感覚がお互い似ているためでしょうか。
かくいう私は、自閉症ではないのですが(診断を受けたわけではありませんが、私なりの知識で判断するとそう思います)性格的には自閉症の人に似ている部分があるのではないかと思っています。

他の人の心情に共感を覚えることが少なかったり(私はかなりドライです)、また今でこそそれなりに発言に気を遣うようになったのですが、以前はズバっと言い過ぎてしまうところがあったり、他人の言葉を額面通りとらえてしまうことがあったり。
つまりは正直すぎるわけですが、ある意味「無神経」だったわけです。

また私は嘘をつくのがとっても苦手で、やむを得ない場合以外はほとんど嘘をついたことがありません。「本当のことを言わない」ことはできても、「真実と違うことを言う」ことに対して非常に抵抗感があるのです。それがたいした嘘でなくても、です。

そしてかなりマジメなほうで、学校の掃除当番も一度もサボったことはなく、社会規範も守りたがります。そのくせ、自分の基準で考えて「それは違う」と思うことであれば、他のみんながやっていることでもやらなかったりします。
年を取るにつれて、そういう部分は丸まってきてはいる(ある程度は他人に合わせるようになった)のですが、根本的な性質は変わっていません。

こういう性格は「異常」とは言わないにしても、私のようなタイプというのは「多数派」ではないのは確かです。普通はちょっとくらい当番をサボったり、たまに嘘をついたりしながら、他人とあまり摩擦を起こさないように生活している人のほうが多いのでしょう。
こういう「ばか正直」なところが、私は自閉症の人の「性格」と良く似ているのです。


ダンナと私がひとつ大きく違うのは、私は思考が明確に言語化されるということです。
ダンナは思考内容を視覚的イメージで持つタイプで、思考を言葉に変換するのが苦手です。
いっぽう私は「言葉で考えている」と言っていいほど、自分の考えていることはくっきりと文章化されて浮かんでくるほうです。
私の考えていることはほぼ正確に文章化できるため、ダンナは私の思考がわかりやすくて安心できるのだそうです。

ダンナは小さい頃は「人の言葉を額面通り受け取ってしまう」ほうだったそうで、それで何度も痛い目?にあい、それからはあまり人の言葉を信じられなくなっていたと言います。
しかし私の言うことはほぼ「本音」であり、裏がほとんどありません。
ダンナは最初は私のそういう性格が信じられなかったそうですが、付き合っていくにつれ、この人が言っていることには本当に裏がないんだ…ということがわかって、安心して付き合えるようになったのだそうです。
いっぽう私も、ダンナの正直さを信じることができたので、結婚まで至ったわけです。

よく「結婚に必要なのは、夫婦の価値観が似ていること」と言いますが、我が家の場合は価値観というよりは倫理観が似ていたのかも。
何事もきっちりしたい私、けっこうずぼらなダンナ、と性格も行動もかなり違う部分が多いのですが、”根本的にマジメ”なところが似ているんでしょうかね(笑)。

で、そういうふたりの子供である長男ですから、やはりそういう部分が強いのは当然とも言えるわけで…。
長男の診断をきっかけに、ダンナと私の性格をあらためて分析してみて、長男の性格(障碍)はひょっこり突然出てきたわけではなく、両親の特徴を受け継いでいるのだ…ということをあらためて認識させられました。

(次回に続きます)
posted by はなずきん at 23:57 | Comment(0) | 妊娠、出産、育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月02日

「高機能自閉症」という”個性”(その5)問題行動への対処の方向性がわかったのは、収穫でした。

(前日より続いています)

私は最初は自分の子供に「障碍がある」という診断がついたことは正直少しショックでした。
でも、時間が経つにつれ、「ああ、この子の落ち着きのなさや対人関係の問題は、自分の育て方のせいではなかったのだ」とわかりかえって安心したのです。
いや、私も「これは育て方のせいではなく、この子の生まれつきのものだ」ということはわかっていました。
我が家がそんなに問題がある環境だとは思えなかったし、何か大きなストレスを抱えて問題行動が出ているというようにも見えなかったし、生まれた直後から長男は「よく動きすぎる子」だったからです。(他にこんなに動く子を、私は見たことがありません。)

でも周囲からはそう(生まれつき落ち着きがないというように)見てもらえないことのほうが多いように感じていたので…「高機能自閉症」という診断名がついたことで「私のせいではない」というお墨付きをもらったようでほっとしたのです。
#もちろん、問題のある性格傾向の全てが高機能自閉症のせいではないのですけれども。

それに、今までの「問題行動」の理由がわかったのは大きな収穫でした。
対応の仕方についても今までとは違う方向でアプローチができるようになって、私も以前よりはストレスが減りました。
とはいえ、いわゆる「高機能自閉症児向けの対応」をしても、長男には当てはまらない部分も多かったので、原因がわかれば対処できるというものでもないのだ…とは思いましたが。
それでも今までの「いったいいつになったらこの子は落ち着くのか、いったいなぜこの子はこうなのか」という先の見えない不安に、ひと筋の光が見えたような気がしたのです。

診断を受けたのと、ちょうど長男が落ち着いてくる時期と重なったせいもあるのでしょう、前ほどは人に手を出したり、見境なくあっちこっち行ってしまったり、ということが減ってきたので、最近は以前ほど私が怒ってしまうことも少なくなりました。



高機能自閉症というのは比較的新しい概念なので、IQレベルが普通の場合は、今まではただ「わがままで、空気の読めない人」というように思われていただけなのではないかと思います。自閉症は「自閉症スペクトラム」とも言われるのですが、自閉症と確定できる場合を「黒」、そうでないと確定できる場合を「白」とすると、その中間のグレーの部分にあたる幅がかなり大きいということです。
グレーゾーンの高機能自閉症の人は、一般社会にまぎれて、しかし人とは違う苦労をしつつ、誤解を受けながら暮らしている人が多いのではないかと思います。
長男は高機能自閉症の中では「積極・奇異群」と言われる、人との関わりを好むタイプなのですが(でも一方的なので、うまく関係を持てない)、人と関わりたがらないタイプもあります。表面上は全然違うように見えますが、根っこの部分はどこか似ているのです。

高機能であるかそうでないかに関わらず、自閉症の人に共通しているのは、「ある物事を感じる感覚が”普通の人(大多数の人、と言うべきでしょうか)”とは違う部分がある」ということなのではないかと思います。
”普通の人”が見ている、感じているのとは違う方向から物事が見える、とでも言うのでしょうか。
それがどういう方向からなのかは、その人によって違うわけですが…。
極端に触られることを嫌がるとか、ある色だけを嫌がるとか、文字や数字にすごく執着を示すなどなどそれはさまざまな形で出てきますが、その根本にあるのは「感じ方の違い」なのではないかと思います。
コミュニケーションがうまくとれないのも、言葉のもつ曖昧さの理解とか、感情の動きが「普通の人」とはかなり違うからなのでしょう。

私も長男が診断を受けてから、いろいろ考えてみると…そういえば知り合いの中にも、それに近いと思われる人が何人もいることに気付きました。実際のところ、そんなに稀な障碍ではないようで、200人に一人くらいの割合でいるのだそうです。(自閉的傾向の人を含めるともっといるのではないかと言われています。)

長男は今まで何度も書いているように「生まれながらのオタク」っぽい面がかなり多いのですが、それは高機能自閉症の特徴と重なる部分がかなり多いのです。
電車への異常なまでのこだわり(しかもパンタグラフ、連結器など細部をチェックするのが好き)、好きになったものの反復の多さ、やたらと難しい理屈をこねたがる、人の話をあんまり聞かないで自分の言いたいことばかりしゃべる…
自閉症の特徴は「特定のものへのこだわりが強く、反復を好む」ということがあるのですが、それはつまり…「おたく」ってことですよね(笑)。
「天才」と言われているような偉人にも、人との関わり方がおかしく、やたらとひとつのことにこだわる…という人がいますよね。普通の人とは違う方向性のずば抜けた才能を持つ人を「天才」と呼ぶわけですが、発達のバランスが悪いという点では「天才」というのはある意味では「障碍」であるのかもしれません。
普通の人が得ている部分を捨てているからこその力とでも言いましょうか。そういう意味では「障碍」は「才能」であり「個性」であるのだ…と私は思っています。

そうそう、実は電車好きというのも自閉症には多い「趣味」なんだそうです(笑)。
なんでなんだろう?とダンナと考えてみたのですが(ダンナは電車にはあまり興味がありませんが)、同じような車両がいくつもつながっていたり、ガタンゴトンという規則的な音がするのがいいのではないか…と。
実際のところはどうなんでしょうね。
(次回に続きます)
posted by はなずきん at 01:44 | Comment(0) | 妊娠、出産、育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月01日

「高機能自閉症」という”個性”(その4)実はダンナも、高機能自閉症だったらしいという話。

(前日より続いています)

長男が診断を受けてから、私は高機能自閉症について本やネットなどでいろいろ調べて、その内容をダンナに話しました。
最初のうちはただなるほどなるほど、と聞いていたダンナですが、詳しい内容を知るにつれ
「この症状は俺の子供の時のことに当てはまるような…」
と言い出したのです。

ダンナは長男のように人に手を出すということはなかったものの、「落ち着きがない」とかなり大きくなるまで言われていたし、言葉も出るのが遅かったし、そして人との距離感を取るのがかなり大きくなるまで難しかったというのです。
小さい頃はあまり気付いていなかったのだけれども、小学校高学年くらいから中学校くらいにかけて
「なんで俺は他のヤツみたいに友達と自然に付き合えないのだろう」
とかなり悩んだと…。
そういえばダンナには同年代の友達が少なく、親しいのは年上や年下の人がほとんどです。私自身もダンナよりひとつ上ですし。

そう気付いていろいろ考えてみると、ダンナについて、私が
「なんでこうなんだろう!?」
と思う部分は、高機能自閉症の特徴に当てはまることが多いことに気付きました。

何か用事を頼む時、「適当にやっといて」というと「適当じゃわからん」と嫌がるし、実際に微妙にこちらが意図することと違うようにしてきたりします。

ふたつ以上のことを同時に頼まれることを嫌がるし、無理に頼むと忘れてきたりするので、一回にひとつの用事しか頼めません。
それに私が「なんとなく不機嫌」だったりしても、はっきりと「不機嫌」を顔に表さないとそのことに気付かなかったり…。
男の人はこんなものなのかな、と今までは思っていましたが(男女差というのも確かにあるんですけど…)ダンナが高機能自閉症だと考えれば納得の行くことがかなり多かったのです。


ダンナは写真的記憶が得意で、すごく昔に見た映画のワンシーンに映っていた小物…なんてものをよく覚えていたりします。
言葉で自分の考えを表現することが苦手で、ケンカをした時など自分の気持ちが表現できなくなるとと黙ってしまいます。言い合いが白熱してくるとボーッとしてきて何を言っているのか自分でもわからなくなってくるのだそうです。
またやたらと同じものを反復するのが好きで、好きになった曲は周囲の人が「お願いだからもうやめてくれ」と言いたくなるくらいまで何度も何度も聞いています。

まぶしいのが苦手で、ふだん部屋のカーテンは閉めっぱなしです。そのくせ電気が明るいのは大丈夫なのです。(太陽光はなんか違うんだそうです)(自閉症の人は、視覚、聴覚、触覚などの感覚が過敏な場合があるのだそうです。何が過敏かは人によって違うのですが。)
ふだんうるさい音がしていても平気なのに、テレビが(画面が消えているのに電源が)ついていると「テレビの音がする」と言って消したがります。テレビがついているとなにか圧力のようなものを感じるのだそうです。

ダンナの「個性」だと思っていたこういう部分が、まさに高機能自閉症の特徴とマッチしていたのです。

でも今の時点では、ダンナは社会的生活を送るのに極端に困難なところはないのです。
フツーのサラリーマンがあまり向いていない性格だというのは確かにありますが、そこそこ自由度のある職場であれば十分対応していけますし、人付き合いもはたから見ると温和にこなしているように見えるのです。
高機能自閉症の人が苦手とする「人の気持ちを察することが難しい」部分が極端に強いわけではなく、ごく常識的に相手の気持ちを推し量ることができています。

ダンナは表面上は社交的だし、むしろ人と接するのが楽しそうに見えるので、私やダンナのお母さん以外は、ダンナが人付き合いが本当は苦手なほうだなどとはほとんど思っていないことでしょう。
それは今までダンナが、人付き合いについて試行錯誤してきてやっと「適当な距離」を保つことができるようになった、ということだったのです。
ただ、ダンナいわく、今でも調子に乗ると相手のことを考えられなくなる…んだそうで、確かにテンションが高いときほど「自分勝手に話を進めてしまう」傾向があります。人の話を途中で遮ってしまったり、冗談の範囲ではありますがズバズバと相手の欠点を言ったり。

以前から「長男の性格はダンナ似だ」と思っていたのですが、実は「高機能自閉症」という特徴が似ていたということだったのかもしれません。
こういう特徴は遺伝することが多いのだそうです。

義母はよく「○○(長男)は△△(ダンナ)の小さい頃にそっくりよ」と言っていて、私だけでなく誰もがうんざりしてしまう長男の世話を「このくらい普通よ」などと言って好んで見てくれたのですが…それはダンナを育てた経験があるからだったのですね。
(義母は昔養護学校の先生をやっていたので…それもあるとは思いますが。)


「高機能自閉症」というのは先天的な脳の障碍で、治ることはない…と知って、私は長男が成長していくうちに「落ち着きのなさ」や「人付き合いの苦手さ」がどの程度フォローできるようになるのだろうかということが少し心配でしたが、今のダンナ、イコール成長した長男の姿と考えてもいいのだろう、ということがわかりちょっと安心しました。


私のダンナももちろん、自分が高機能自閉症であろう(診断を受けたわけではありませんがおそらくそうでしょう)ということは、長男が診断を受けるまで気付かなかったわけですが、自分がそうとわかっていたらもう少し苦労しなくて済んだのかも、と言っていました。

ダンナはある程度成長してからは、なんで自分は他人との距離がうまく取れないのだろうとかなり悩んだそうです。
特に自分が好意を持つ人に対して、距離を詰めすぎて嫌がられてしまうことが多かったそうで、ずいぶんと人付き合いに慎重になった時期があったそうです。

でもその「悩んでいた部分」というのは、高機能自閉症の特徴そのものであったので、自分が
「対人的な能力やものの感じ方について、一般の人とは違う部分があるのだ」
ということが自覚できていれば対処のしようがあったのではないかと。


ですのでダンナは、長男がある程度成長したら、高機能自閉症であることを本人に告知すべきだという意見です。(私もそう思います)
そのほうが本人にとっても、周囲の人にとってもきっと良い結果になるのではないかと思っています。

(まだまだ続きます…)

posted by はなずきん at 09:03 | Comment(0) | 妊娠、出産、育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする